日誌

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO1074 (2019.11.29)

校長日誌 錦町の空から NO1074 (2019.11.29)

 いじめ講話

 今週月曜日の全校朝会は、11月11日(※放送朝会)に続き「いじめ講話」を行いました。(いじめアンケートを回収したばかりというタイミングです。)

 今回の講話は「いじめについて」です。主人公は、「
春名風花(はるなふうか)さん」。

女優、つまり役者さんと声優さんをしています。小学校の頃、いじめられた経験があります。ここで春名さんから子供たちへ質問。(「いじめられる側に原因があるか」)。当然のように、子供たちの多くは、「いじめられる側に原因はない」と答えました。ところが春名さんは、「
いじめられる側にも原因がある」って言うのです。でも、間違えないでくださいね。いじめる側が悪い、と春名さんは言っています。でも、いじめられる側に原因があるというのは「完璧な人間はいないから」。

いじめる人って、いじめる原因をいじめる相手の中に「見つけた」だけなんだそうです。つまり、「いじめをする人は、まずいじめる側に、誰かをいじめたいという目的があってその目的に向かって、いじめる原因を探し出してしまった」のだと。「いじめをする子というのは、いじめたい子にいじめの原因・いじめのネタを見つけるのです」。
どんな人間にも、もちろん校長先生にも、欠点はたくさんあります。欠点がない人はいません。欠点をさがそうと思ったら、いくらでもさがせるんですよね。春名さんは、小学校の頃、クラスで「声優をめざしている」と言ったら、みんなに笑われたり、ばかにされたりしたそうです。その後、
声優さんになるための学校に行っても、やっぱりみんなに笑われたり、ばかにされたりしたそうです。その後さらに、舞台の仕事、つまり役者さんの仕事をすると、やっぱり笑われたそうです。どれだけ頑張っても、最初から春名さんをいじめようと思っているのだから、いじめられるのですよね。
さて、そこで結論です。いじめられる側といじめる側で、変わらなくちゃいけないのは、どっちですか?いじめられる側ですか?それとも、いじめる側ですか?変わらなくちゃいけないのは、いじめられる側ではありません。いじめる側が変わらなくちゃいけないのです。春名さんは、小学生にメッセージを出しています。それは、「『いじめられない自分』ではなく、『自分がなりたい自分』を目指そう!」ということです。思いやりのある自分、優しい自分、いじめをしない自分、いじめられている子を助ける自分になろう、と言っています。
いじめられないように、いじめられないように、他に人に気をつかうのではなくて、自分の夢、自分の目標に向かっていくことが大切です。いじめる人たちに気に入られようとするのではなく、自分の人生を生きてください。・・・これが春名さんからのメッセージです。

子供たちは静かに聞いていました。さすがは三小の子供たち。