日誌

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO1213 (2020.02.29)

校長日誌 錦町の空から NO1213 (2020.02.29)

 仰天!

 先週の木曜日のこと。私は5時過ぎまで市役所に会議のためいました。通常ならそのまま帰宅するところですが、現在副校長がお休みしているため、コロナウィルス対応のため、帰校しました。急いで帰るため、北風の中自転車で戻りました。頑張ってこいだため5時半には三小に到着。
 すぐに両主幹と養護教諭と4人で協議を開始しました。
 その中で次のような対応策が決まりました。
①3月2日(月)の月曜日はマスク着用で全校朝会を行い、校長から子供たちに「中止となる行事や集会等について話し、詫びる。
②6年生を送る会は、全児童がマスク着用で行う。(1~4年生にとってはこの集会が6年生を送る卒業式のようなものです。)
③開校記念集会は、放送で行う。
④開校記念集会で配られる紅白饅頭は、お断りする。(会議中にPTA会長さんに連絡し、理解してもらいました。)
⑤3月9日(月)以降の全校朝会は、放送で行う。(6年生の言葉を大切にする意味からも)
⑥校外学習は中止。3・4年生の消防署見学を中止する連絡は校長から消防署へ連絡済み。
⑦手洗い・うがいとポンプ式手指消毒液による手指消毒を引き続き徹底させる。(担任からの声かけに加え、引き続き放送でも繰り返し徹底を呼びかける)
⑧保護者が来校する際には、マスク着用の徹底をお願いする。
⑨24日の修了式は校庭でマスク着用で行う。
⑩25日の卒業式は、5・6年児童と教職員ともマスク着用で行う。(保護者や来賓の出席については、この後の感染の拡大の状況によって考える。状況によっては、保護者についてもマスク着用で出席してもらう。)
⑪以上のことも、感染拡大状況によって、また国や都や市からの指示によっては、変更する。

以上のようなことを決定して、ホッと一息。校長室を出て、職員室に行きました。この時点で6時半。すると、本校の初任者の先生が私に声をかけてきました。
「校長先生。今、ニュースです。安倍総理が『3月2日から全国の学校を休校する』と言っています。」
私は全くの冗談と思い、「それはガセネタでしょ。」と言いました。
職員室では次々と先生方がスマホで調べ始めました。すると、
「校長先生。今、○○先生が言ったことは本当です。」
と言いました。まだ信じられない私に、ある先生は、動画を見せてくれました。
すると、確かに安倍総理が「3月2日から全国の学校を休校する」との言葉を言っていました。
仰天しました。40年の教員生活でこれ以上の仰天はない、とはっきり言えます。
たった今、1時間以上かけて話し合ったことがおじゃんです。
しかしガックリしている暇などありません。
すぐに両主幹と再度協議をしました。二人とも快く協議に応じてくれました。
2月28日にHPでお知らせする文面も決めました。さらに、3月2日(月)に保護者に配る、休校のお知らせのプリントも言葉を精査しながら作りました。
学校を出たのは10時。
さすがに疲れました。
そして、2月28日。8時半に市役所に出張に出ました。
すると、市教委から「2月28日で学校を休校にすると、子供たちに指導をする時間がない。そのため3月2日の3校時まで学校を行い、その後休校とする。その間に学校で子供たちへの指導、子供たちが休校の間学ぶ内容を決めて、指導をしてほしい。」との指示がありました。
10時20分に帰校。ちょうど休み時間です。そこで緊急に教員を招集し、市教委の指示を伝達。子供たちが持ち帰る作品など指示などをしました。さらに市教委からの文書を印刷し、各クラスに配布。配布が終わったのを確認して、私が放送で子供たちに休校についての話をしました。
この日も放課後両主幹や夕方から出てきた副校長も加え、3月2日の流れや休校中の対応などを協議。
またも8時過ぎまで学校で仕事。
帰宅し、遅い夕食をとって就寝。
翌朝。いつもは4時過ぎに目覚めるのですが、目覚めてみると、何と10時。
泥のように眠る、とはこのようなことです。

ということで、先週一週間は怒濤の一週間。その締めくくりの木・金曜日は特に怒濤の2日でした。