日誌

あの年の8月


各教室の生きもの、植物は、日直の
先生や管理人さんが見守っています。
くわのみ教室の植物も、元気です。
(業務日誌みたいですね。)

初めて知る人も、待ってました!の人も
います。九小には全国でも珍しい、味噌
樽置き場があるのです。重いドアを開け
てみると・・・

今の6年生が、5年生の12月に仕込んだ
お味噌の樽です。1組から3組とくわのみ
学級の当時の5年生が、3日間かけて仕込
みました。あと一つは作り方を共有するた
めの、教員用の樽です。微かにおみそのに
おいがしますよ。夏を過ぎると一段と香り
が強くなります。今年は150周年記念コ
ッコみそとして発売される予定です。お楽
しみに。美味いこと間違いなし!

今日は広島の原爆の日でした。さて、その
昭和20年8月の学校日誌です。引用が長
くなります。
「8月1日水曜日 晴 27度
 本日より勤労動員を始め本月末までの予定
 20時21分九小警報(略)2日2時47分
 解除されるも、この時当中里分教場(注:分校)
 全部焼夷弾のため焼失せり」
「8月2日木曜日 晴れ 29度
 2日2時47分
 午前2時42分解除されたるも、分教場全焼す。
 中里組多数焼夷弾にて焼失す」
※立川市史(近代部会)資料より。原文はカタカナ
 旧漢字。写真は現存する本物の当日の日誌。

あと終戦まで2週間もなかったのに、
分校(今の西砂小の前身)がやけ、
中里地区は23軒、4番地区は3軒
全焼してしまいました。それでも、
8月15日・そして2学期の始まり
を迎えます。特に分教場の子どもた
ちは、農家に分散して集まり、勉強
を続けたそうです。

先生方も、昨日まで教室で授業されて
今日は出征兵士として、戦場に向かう
先生もいました。もちろん本人は、知
っていて、子どもたちには内緒だった
のでしょう。心中いかばかりか・・・
です。写真は、出征する先生の写真。
ある先生の、お別れの詩です。
上砂の方も、次々と出征し中神駅まで
子どもたちも見送ったのです。
※創立百周年記念誌「あしっこ」より
 明日は、ついに分かった校庭の木の
 秘密の巻です。(たぶん)