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日誌
貴重な記録から
今から76年前の昭和20年8月15日に日本は
終戦を迎えました。とてもいい天気だった
らしいです。
その2週間ほど前に、中里地区と四番地区に
焼夷弾がたくさん落とされ、中里で23軒、
四番で3軒が全焼していまいました。西砂川
分校(現:西砂小学校)も焼けてしまいまし
た。子どもたちは、勉強道具を持ち出すこと
も出来ず、その後の勉強は各農家に分散して
リンゴの箱で、勉強を続けられました。
(100周年記念誌『あしっこ』より)
どんなときにも、学び続けた先輩方。今の九
小でも受け継ぎたいです。
学校日誌には、15日。字が薄くて読みずらいですが、
児童の登校日だったようです。そしてそのまま正午の
ラジオで、戦争が終わったことを知ったのですね。
やはり30度の晴天の日だったのですね。
今回初めて知ったのは、戦争が終わっても、
3日間、空襲警報が発令されたことです。
そして、8月18日の警報を最後に、76年間
空襲警報は発令されていません。
あしっこの写真です。みんなの服装や、窓ガラスが
修理されている様子から考えると、終戦後しば
らくたってからの写真かもしれません。子どもも、
大人も、みなさんやせていますね。この頃は占領中
で時々アメリカの兵隊さんが、視察に来ていて、
びっくりしたそうです。
その後、わずか数年でこの写真のような運動会が
できるようになりました。物資は足らなかったと
思いますが、復興への喜びやエネルギーを感じま
す。ランニング・半袖・長そでとまちまちですが、
元気な一枚です!
【長期戦か?ご注意を!】
明け方に、スマホが鳴ったのでびっくりしたら、
立川など多摩地方で大雨警報や洪水警報が多く
発令されていました。もうすぐ解除される時間で
すが、延期やまた明日発令なんてこともあるかも
しれません。ちなみに私の近所で赤い地区(危険)
が2カ所あります。二つとも「ハケ」と呼ばれる小
さながけの部分です。あのカワセミの池も入って
いました。あふれたら大変ですものね。
第九小学校校歌
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