日誌

今も昔も上級生のおかげ


昭和の初期には集団登校がはじまってました。
最上級生の高等科2年生が、学校長の任命で
児童長となって、ならばせて登校していました。
今も昔も最上級生のいうことを下級生は聞いて
行動しています。上級生の面倒見がいいのも変
わりません。任命状の文字も直筆で達筆ですね。

高等科にすすむと農業実習がありました。できた
作物は立川や昭島の方まで売りに歩き、その売り
上げで、来年の種や肥料代に当てたそうです。
学校で学ぶと、家の農業の手伝いもがんばるよう
になったそうです。

また大正10年の頃を思い出して描いて
くださった絵地図です。これを見ると、
西砂川小学校分校は、今の西砂会館の周囲
にあったのですね。もうこの頃には、玉川
上水と残堀川が交差していますね。「松中
っ原」と書かれている草地に、今の松中小
学校は建てられました。一番町にも神社や
水車など街道沿いや上水沿いが賑やかだっ
たみたいですね。
(出典:創立百周年記念誌「あしっこ」)
【おまけのクイズ】

今年の夏は東京から出ないでのんびりと。
1日だけ実家によりました。どこでしょう。
①キャプテン翼ゆかりの地(南葛は、実在の高校)
②両津勘吉の勤務している公園あり(交番はない)
③「男はつらいよ」車寅次郎の故郷(団子屋は架空)
もう分かりましたね。①・②・③の銅像がちゃんと
たてられてます。よく寅さんの映画をお祭りなどで
上映してましたね。影響を受けたことは確実です。