日誌

大人の学校たんけん⑤


これが焼きがまの中身です。図工専科がまた見せてくれました。
これから、焼く作品です。これだけしか入らないので、学年分
焼くのは大変ですね。かまのドアに「昭和59年製造」と書い
てありました。35年前です。「私生まれてません」と図工専
科。私は赤ちゃん(ウソ)。九小ではくわのみ学級ができた年
です。大島三原山噴火をテレビで見た記憶が・・・。以来いっ
たいいくつの作品をやいてきたのでしょう!どんな作品かは、
3学期までのお楽しみ。

応接室を片付けたら、すごいものが見付かりました。
140周年の時に飾ったようです。教室にびっしりの
子どもたち。おそらく「カラス」とよばれた黒っぽい
制服だった、明治の終わりから大正時代の写真ではな
いでしょうか。みんなすっきり坊主頭。男女別学だっ
たのでしょうか。いろいろ考えられる貴重な写真。

運動会の様子。そういえば男子は白い短パンでしたねえ。
よく見ると、靴を履いている子どもと、足袋をはいている
子どもがいます。足袋の方が走りやすかったのでしょうか。
(光っているのは、電灯の光です。他の写真も)

これも貴重な航空写真。木造2階建てが完成した
60周年(昭和34年)と思うのですが。
影の角度から想像すると、下の門が今の南門。
正門が北にあり、「学校道」と言われた道が
まっすぐに伸びています。今の五日市街道に
ある、門まで伸びています。今のプールのと
ころにも校舎が建っていますねえ。

『校庭を二倍に広げたので、端にあった桜の大木が、
校庭の真ん中に来た。』とあしっこに記述されてい
ます。この大きな木でしょうか。子どもたちのよき
遊び場だったようですね。これも運動会ですね。

昭和20年代の、2階建て木造校舎の写真ですね。
校庭が狭かったのでしょうか。木造校舎は、夏は
涼しいけど、冬は寒く、廊下に立たされると、暗
くて寒くて怖かったですね。(何で知っているのか)
さすが、もうすぐ150年。本当に地域の方の昔話を
伺うとスケールが大きくてびっくりです。校長先生が
「150周年の時に、そんないろいろお話を集められ
るといいですね。」とおっしゃる言葉に、その通りで
すと思いました。
      (参考:140周年記念誌「あしっこ」)