日誌

明治、大正と昭和の話


北校舎裏に立っている、初代校長の小安先生の顕彰の
碑です。明治33年に高等科を併設し、今の地に移転
「西砂川尋常高等小学校」に改名。その日が、11月
27日で華やかな式があったようです。以後この日を
開校記念日としています。

そしてこの日に、小安先生は校長先生として着任され
大正9年12月28日まで20年4ヶ月の長きに渡り
勤められました。この碑は大正10年の開校記念日に
父兄会と同窓会によって、建てられました。

学校だけでなく、地域の名士として、青年の教育にも
力を入れるなど、この地域のそして第九小学校の礎を
築いてくださいました。そのことが顕彰の碑に漢文で
刻んであります。この話何度もしていますが、本当に
すごい業績を九小や砂川の地に残された方です。

さて今日は、長崎の平和記念式典がありました。残された
學校日誌には、9日に長崎について何も記述もありません
でした。ところで、終戦までの一年間くらい、砂川地域に
空襲警報や実際に爆弾が落ちたりしたとのこと。この4月
3日・25日にも、一番地区に爆弾が落ち、犠牲者が出た
そうです。横田と立川の2つの飛行場や、軍需工場があっ
たためのようです。(100周年記念誌「あしっこ」より)

話は戦後になります。昭和30年から45年位まで、
毎年夏休みに「緑陰子ども会」という勉強会を開き
ました。以前にもお話しましたが、班長さんの農家
の庭先や、裏山の木陰、お宅にお邪魔してなど、涼
しいところに長板を使った長机で、勉強しました。
今も昔も、地域の力のおかげもあって、九小の子ど
もたちは学んできました。夏休みも学習を頑張るの
が、九小の伝統ですね!