日誌

大正の終わりまで


今年も学校の近くの畑で、オクラのきれいな
花と、形のよい実が見られました。今日は、
36度。明日もです。無理に外出しないで
くださいね。

ねこも水を見つけては、ぺろぺろです。
我々人間はもっとこまめに飲みましょう。

前に載せた写真です。麦まきが終わると、
卒業生が学校へ行き、学んだ夜学が始ま
ります。農繁期が終わり、短い期間です
が、非常に熱心だったそうです。
先生も大変だったでしょうが、熱意は写
真から伝わりますね。

大正時代の分校は、児童数が増加しました。
1年生から4年生まで分校で学び、5年生
から、少し遠い本校へ通いました。運動会
は、本校へ行き遠足も一緒だったそうです。
5年生になると毎日一里(4キロ)も通っ
たなんてすごいです。でもこの写真、子ど
もでないような・・・。何の写真しょうね。

大正12年9月1日11時58分に、関東
大震災がありました。遠くの空が赤い煙で
覆われていたそうです。
この日は始業式で家に着いた頃で、大変だっ
たようです。幸い大けがや倒壊はなかった
ようですが、あることないこと流言(噂・
デマ)がすごかったようです。九小の学校
日誌にも「横浜方面が壊滅」などと書いて
あります。もちろんデマです。
3日に臨時の全校朝礼が行われて、心構え
や流言を信じないようになどと、校長先生
が訓示をされたと記録されています。
(出典 創立百周年記念誌「あしっこ」)