日誌

おまけ たんけんわたしのまち

校長先生が先週の朝会のお話の中で、
「2番目にできた学校なのに、なぜ『九小』
なのでしょう。答えは1ヶ月後」という問題を
出されました。みなさん分かったかな。
それをうけて、久しぶりの「たんけんわたした
ちのまち」シリーズです。誰も憶えていない、
私も忘れていたシリーズ、復活。今回は、
「水の町砂川の巻」

五日市街道を並行して流れている砂川分水。
一番町の松中橋付近で、玉川上水から分か
れています。今はほとんどがふたをされて、
歩道になってます。この付近に確か、水車
があって、お菓子やさんなどもあったよう
です。

去年の9月に、五中校区のPTAの主催で
この地下深く流れる大きな水道管の中を
歩きました。工事は完成したようですね。
村山や昭島と巨大な水道でつながってい
ます。

見影橋公園とその近くの見影橋付近は
散歩に人気のスポットのようです。見影
橋は「四の橋」と言われていたそうです。
(砂川の玉川上水から4つめの橋。新家橋は
「三の橋」だそうですね。)
その御影橋のすぐ近くに源右衛門分水があり
ます。

地元のみなさんには、おなじみの場
所ですね。
この地域の名主だった砂川源右衛門
さんの屋敷にあった水車につながっ
ていたそうです。さっきの水車かな?
個人のお屋敷に玉川上水の引水が、
認められたのは珍しいそうです。

水がきれいなこの付近。桜やけやきの葉も
落ち始めています。今日から11月ですもの
ね。

最後に、西武線のトンネルをくぐって、北側。
今は、上砂川小学校の学区域ですが、長い間、
九小学区域でした。ここに残堀川が流れてい
たとのこと。100周年記念誌「あしっこ」の
大正10年の地図では、すでに残堀川は今のル
ートです。だからもっと前ですね。

玉川上水と残堀川が、サイフォン方式で交差するよう
になったりして、流れを変えたようです。蛇堀川と言
われるくらい曲がっていたようですが、今の残堀川は
真っ直ぐのところが多いですね。ちょっと掲示が目立
たなくて、三往復してやっと見つけました。砂川のこ
の付近は水を上手に利用して、農業や生活に役立たせ
ていたのですね。開校の頃は川は流れていたのかも。

全く蛇足ながら、迷い道で旧日産自動車工場付近まで
歩いてしまいました。その時、私が小学校5年生の時
この日産村山工場にバスで見学に行ったことを突然
思い出しました。大きな大きな工場だった記憶がよみ
がえりました。