校長日誌

2024年10月の記事一覧

いしずえ945

■先日の通勤時、中央線のグリーン車に遭遇、いつもの乗降口ではなく、あたふたしてしまいました。「突然グリーン車がやって来た!」と職員室でつぶやいたら、冷静沈着な某先生が「電光掲示に12両と表示されたらグリーン車接続です!」と助言してくれました。それからは表示に気を付けています。他人の助言に耳を傾けるのがいかに大事か痛感しています。

(10月30日飯田芳男)

いしずえ944

■学年だよりに「ひとつの朝」という曲のことが書いてあったので聴いてみました。久々に「清々しさ」を実感しました。私が特別支援学校に勤めていた時、ストレッチャーに横たわる生徒は、朝の会で曲を聴いて気に入ると手元のリモコンのスイッチを押して反応してくれました。「いい曲です」という意思表示はグリーンのあかりです。当時、私も、生徒の表現の証である「グリーンのあかり」を確かめ、清々しい朝を楽しんでいました。

(10月29日飯田芳男)

いしずえ943

■合唱コンクールで歌を聴きながら、生徒が生き生きしているので、自分の中学校時代をやり直したいなという気持ちになりました。当時の私には「何事にも全力投球!」という姿勢が欠けていました。私の思春期には、いつも「まどろっこしい風」が吹いていた気がします。全校合唱が、私のとがったハートをまぁ~るくしてくれました。

(10月28日飯田芳男)

 

 

いしずえ942

■中学時代の友人と「あのころはなんで合唱コンクールがなかったのか?」という話になり、1学年8クラスもあったからという結論に達しました。私の出身中学の話ですが、一中は1学年8クラスの時代に音楽会が行われていました。当時もいろいろなドラマがうまれたことでしょう。私の中学時代の「ほろ苦い思い出」は、この頃ようやく苦みがぬけてきました。

(10月27日飯田芳男)

いしずえ942

■みんなで歌うとすがすがしい気持ちになります。夢の世界を口ずさんで笑顔をつくっていきます。

(10月26日飯田芳男)

いしずえ941

■合唱コンクールは、昭和46年度には音楽会という名で行われています。都立社会教育会館ホールが会場です。その年以前の記録がありません。その頃は本校体育館が会場でした。文化祭の中で、展示と音楽会に分けて行われていたようです。昭和58年からリスルホールで開催されています。合唱コンクールという名前は平成5年度から使われています。明日は、一中史に新たな歴史のハーモニーが加わります。

(10月25日飯田芳男)

 

いしずえ940

■諏訪ノ森公園にもどんぐりがたくさん落ちています。「♪どんぐりころころ どんぶりこ…」と口ずさんでしまいました。小1を担任していた時は「どんぐりころころ どんぐりこ」と歌わせていました。私は、歌詞をていねいに味わうのが苦手です。合唱コンの練習にいそしむ生徒からは、歌詞がはっきり伝わってきます。いつもうっとりと聴いています。

(10月24日飯田芳男)

いしずえ939

■「良いことには邪魔が入りやすい」をあらわす言葉に『好事魔多し(こうじまおおし)』があります。読売中高生新聞では、読む時の切れ目を紹介していました。「好事魔、多し」ではなく「好事、魔、多し」とのこと。今まで切りかたに無頓着で使っていました。「好事家」は「こうずか」と読むので、「好事魔」は「こうじま」で一つの言葉かと思っていました。言い訳です! 反省です。

(10月23日飯田芳男)

いしずえ938

■私が6年生を担任していた時、「魔法をすてたマジョリン」という劇を演じさせました。マジョリンが「魔法よりすてきな人間の思いやりの心」を学んでしまうストーリーです。演技後、下の学年で「6年生になったらマジョリンを演じたい」という児童が多く、担任としてはとても嬉しかったです。今日は、「3年生になったら大地讃頌が歌える」と、校長室前を、気合十分に通り過ぎた2年生の姿がありました。校長としてはとっても嬉しかったです。

(10月22日飯田芳男)

いしずえ937

■昨日の町民運動会では、一中生が選手としてもスタッフとしても活躍していました。うれしく思っています。私が子供のころも町民運動会がありました。賞品がでるので、ものすごく頑張った思い出があります。運営面でも手伝いにかりだされていました。学校で経験した通り動くと大人たちにほめられました。学校で学んだことは、いろいろな場面で役立つことを実感しました。今もそう思います。

 (10月21日飯田芳男)

いしずえ936

■大学の時、東京に台風が接近して午後から山手線が止まった記憶があります。確か10月20日でした。大学の掲示板に「午後より休講」と表示されました。掲示板を見に行かないと情報がとれないアナログな時代でした。中央線、山手線などを国電と言っていた頃です。今年はもう台風が来ないことを祈ります。

(10月20日飯田芳男)

いしずえ935

■私が中学3年時の10月は、模擬テストを受けに行ったついでに、私立の学校をまわっていました。「学校見学」とか「オープンキャンパス」という企画がなかったので、塀の外からんのぞき込んだだけで志望校を決めていたのもなつかしい思い出です。そういえば電車の切符は硬い切符で、持ち帰って親に見せていました。駅で持ち帰ることをとがめられなかった時代です。

(10月19日飯田芳男)

いしずえ934

■小学校に立ち寄ったら『まっかな秋』の歌声が聞こえてきました。私が小学校3年生を担任していた時、必死に片手でオルガンを弾いた思い出の曲です。学級の朝の歌で、私が両手で簡易伴奏ができるようになった頃、となりのクラスでは、「あわてんぼうのサンタクロース」が歌われていました。

(10月18日飯田芳男)

 

 

いしずえ933

■今日17日はカラオケの日です。この記念日は1994年10月17日、全国カラオケ事業者協会が制定しました。カラオケで歌うことがすっかり根付いたと言える昨今です。私が小学校教員になった頃、ピアノが弾けない私の音楽授業の友は、カラオケのカセットテープでした。音楽指導にもカラオケは根付いていたのです。「伴奏が一流オーケストラでしたね。」と、教え子には今でも冷やかされています。

(10月17日飯田芳男)

いしずえ932

■16日は世界食糧デーです。世界の食料問題を考える日です。食事の機会に恵まれない人々がいることが念頭にあっても、いざ私がどう対応して良いのか考えが及びません。給食のアジのエスカベッシュをいただき、幸せをかみしめつつ、感謝の気持ちでいっぱいです。

(10月16日飯田芳男)

 

いしずえ931

■俳人の正岡子規が柿好きだと、新聞のコラムで知りました。名句『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』にも納得してしまいます。修学旅行で訪れる法隆寺は、ここ数年、暑さとの戦いで、この句を思い浮かべるゆとりがありませんでした。さて今日は十三夜、月に見立てたお団子入り「十三夜汁」をおいしくいただきました。

(10月15日飯田芳男)

 

いしずえ930

■10月15日から第77回新聞週間です。新聞にまつわる読者の寄稿に心を動かされました。私は祖父母が90歳になっても、虫眼鏡で文字を追っていた姿が忘れられません。新聞は情報の宝庫です。リサイクルに出す時は「ごめんなさい」をしています。

(10月14日飯田芳男)

いしずえ929

■今日はアンパンマンでおなじみの「やなせたかし(柳瀬崇)さん」が、お亡くなりになった日だということを思い出しました。運動会のダンスを、手のひらを太陽にと言う曲で踊った教え子は、まもなく50歳になることも思い出しました。

(10月13日飯田芳男)

いしずえ928

■ノーベル平和賞を日本の団体が受賞しました。世界平和を希求する地道な活動が認められたと報じられていました。今日は、世界での紛争が止んでいないことを、いっそう心に留め過ごそうと思います。

(10月12日飯田芳男)

いしずえ927

■教室に拡大コピーをして掲示されている座席表が青文字でした。まるで昭和の頃の「青焼き」という印刷のようで何だか嬉しくなりました。私が教員になった頃、先輩の先生は、コピーをとることを「焼く」と言っていました。「コピーする」とは言わなかったですね。今職員室で「焼く」と言っているのは私と副校長先生くらいです。ちなみに私と副校長先生は、テレビのチャンネルを「まわす」と言っています。

(10月11日飯田芳男)