校長日誌

2023年9月の記事一覧

いしずえ529


■四条通りをゆっくり歩くとセピア色の思い出がよみがえると言います。
中学生の時は気付かなくても、青春の旅は一生語れる宝物です。いつかはセピア色になっても、心はあったかです。(9月9日飯田芳男)

いしずえ528


■平等院は10円玉でおなじみです。世界遺産ですから、建物と敷地全体が豪華な美術館です。宇治茶をいただきながら一中生の皆さんは何を思うのでしょうか。明日は哲学の道を歩きたいです。今宵は台風が心配で眠れません。(9月8日飯田芳男)

いしずえ527


■鰆の磯辺揚げをおいしくいただきました。鰆がこの時期においしくいただけてありがたいです。さて3年生は修学旅行が明日からです。古都のお食事を楽しんでほしいです。京都の町並みは○○通りと名がついています。私もわらべ歌に合わせて覚えているところです。牛若丸の歌も歌ってきます!!
五条の橋の上でしんみり弁慶との出会いを思い出しながら。(9月7日飯田芳男)

いしずえ526


■給食当番がてきぱき働いてくれています。小学校の経験が生きていてどのクラスも順調です。私が小学校教員になったばかりのころ、4月末の1年生の給食は、牛乳とバナナでした。「アイアイ」という歌を歌ってから「いただきます」をします。幼稚園や保育園のお兄さん、お姉さんも急に子供扱いされます。そんな中、牛乳瓶のふたが開けられず何人かが牛乳を頭からかぶります。ですから、いつも「いいだせんせい!あれで開けて」とリクエストが。あれとは「牛乳瓶のふたを開ける針」です。我が家にも、もうありません。井上陽水さんの歌を歌いながら今も探してます。(9月6日飯田芳男)

いしずえ525


■給食で、ツナとブロッコリーのスパゲッティをいただきました。パスタと言わず、スパゲッティという言い方が嬉しかったです。各クラス、昨日より早く食べ始めたようでした。良き変容さすがです。「いただきます」から「ごちそうさま」まで多くの人が関わっています。もう今から「明日の準備」が行われていると聞いています。すべての方々に心から感謝し、給食をいただいています。私は、もう今から、焼肉丼をいただく「明日の準備」に入ります!!(9月5日飯田芳男)

いしずえ524


■調理場からの給食をいただきました。けんちん汁がおいしくて、各学級から完食の知らせがありました。ごはんもアジフライも温かくて、笑顔でほおばっている生徒が多かったです。給食当番は、久しぶりの白衣で、照れている生徒もいましたが、みんなが丁寧に作業をしていました。また、けんちん汁はだしの香りが更なる手作り感をかもしだし、料亭の味に仕上がっていました。私は「検食」として早めにいただきました。今日最も意欲的に取り組んだ(?)お仕事です。(9月4日飯田芳男)

いしずえ523


■ドラえもんの誕生日だそうです。今日は。私は「ドラえもんのポケットみたいだね」と言われたくて、カバンにいろいろなものを入れてました。ところがカバンがパンパンになるので今はおさえ気味です。いえ、そもそも何を入れたか覚えられなくて困っています。それにしても、ドラえもんの明るさにはいつも助けられています。そして、タケコプターはゼッタイ手に入れたいです!(9月3日飯田芳男)

いしずえ522


■Septemberは9月。私は中学の時苦手としたスペルであり、苦手な月でした。一番好きなのはMayの5月です。理由は簡単、3文字ですから。私が中1の時は9月から筆記体の指導が始まりました。今は筆記体で書く生徒は見かけません。どうしてなくなったのでしょうか。筆記体は、昭和人の証明書になっています。(9月2日飯田芳男)

いしずえ521


■関東大震災は1923年の9月1日午前11時58分に発災しました。母が2歳10か月でした。日暮里に住んでいた祖母は、母をおんぶし、やっとの思いで火災から逃れたと言っていました。母は「今なら震度6。当日は強風が吹いていた」と祖母の言葉を私に話してくれたことがありました。ところで、震災後東京都はコンクリートでできた頑丈な小学校を建てていきました。通称『復興小学校』です。私はそのひとつに勤務したことがあります。地下にはまるでシェルターのような空間がありました。先人の工夫を肌で感じました。災害は忘れた頃にやってくると言います。気をひきしめています。(9月1日飯田芳男)