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校長日誌
2023年3月の記事一覧
いしずえ365
■自分の文章を読み返すと自己嫌悪におちいるのですが、先日は、
教え子の結婚式で、私の手書きの学級通信が登場し、恥ずかしい思
いをしました。「穴があったら入りたい」とはまさにこんな時です。
日ごろから「やわらかい文章、優しい文章をつくりたい」といつも
思っていますが、なかなか難しいミッションですね。美しい短歌を
つくる貴司さんの域に達するよう修業を続けます。
(3月30日飯田芳男)
いしずえ364
■読売新聞で、言葉の『連濁(れんだく)』を知りました。雨傘
や花火が一例で、うしろの語の最初が「にごる」語に変わるのが
連濁だそうです。また、うしろの語がすでに濁音がふくまれると、
連濁が起きにくいそうです。「盛りそば」が「盛りぞば」になら
ないように。勉強になりました!…ある校長が私に「『盛りそば』
は、最初につゆをつけずに食べるのがうまいという法則がある!」
と語っていたのを思い出しました。心の中で、それは法則とは言
えないなあと思いながら、たっぷりつゆをつけておそばをいただ
きました。 (3月29日飯田芳男)
いしずえ363
■私は、大学卒業後から5~6年経った頃、埼玉県のある自治体
で産休・育休の先生の代わりに小中学校に勤めたことがあります。
校長先生との面接が3月28日に行われました。午前10時です。
不思議なことに生徒が校舎にたくさん。その自治体は3月30日
が修了式、4月9日が始業式だったのです。学年の始まりと終わ
りは法律のきまりがありますが、始業式や終業式、修了式の日は
自治体が決められることを実体験で知りました。3月28日にな
ると思い出すひとコマです。 (3月28日飯田芳男)
いしずえ362
■昨日の誕生花はハナニラ(花韮)、明日はヤマブキ(山吹)で
す。では今日は?今日27日の誕生花はジギタリスです。別称は
「狐の手袋」とも言います。しかし今日の花が「ヒヤシンス」と
いう説もあります。どちらにしても花の形状に特色があります。
その月の誕生石を調べてもおもしろいですが、誕生石も複数存在
するようです。また、「十二の誕生日に」という歌があります。
この歌には誕生月への願いが込められています。よく学級で歌わ
せていました。誰にとっても誕生日は大事なんですね。
(3月27日飯田芳男)
いしずえ361
■教員になった年の手帳が出てきて、目を通してみました。「桜
まだ」という一行が。30数年前はやはり3月に桜は咲いていな
かったということがわかりました。今年はすでに満開です。その
かたわらで、紫陽花の葉が広がり始めました。「寒さにじっと耐
えてえらかったね」と言葉をかけたら、次の日は葉が2倍になっ
ていました。 (3月26日飯田芳男)
いしずえ360
■春分の日を境に、私が愛用(?)する自動販売機は、「温」
がなくなり、すべての飲み物が「冷」に切り替わってしまいま
した。仕方がないので「冷」を購入し、校長室の窓辺において
直射日光で「温」にする案を思いつきました。我ながら名案だ
と自画自賛! でも置いた日から「曇り」が続いています。
(3月25日飯田芳男)
いしずえ359
■私が小学校5年生の時は、修了式の日に「6年生になるって
ハードだな」と思った記憶があります。前日の卒業式に参加し、
4月は始業式前日に登校することを言われていたからです。始
業式の前日に登校して、新しい先生に付き添って仕事をしても
その先生が「新しく着任した先生!」だと気が付かないところ
が愉快でした。さて、一中生の皆さんは、どのような感想をも
った一日だったのでしょうか。一期一会の人生を知る春が始ま
ります。 (3月24日飯田芳男)
いしずえ358
■月曜も水曜も、朝利用している電車への乗り継ぎに、ゆとりが
できました。日ごろから、姿勢よくかつリズミカルに歩く心がけ
が功を奏し、今日は俊足になった私に、先生方が「周東選手のよ
うですね。」と、声をかけてくれるのを期待して出勤しました。
でも、私が50㍍を5秒7で走れるわけがありません。よ~く考
えたところ、ダイヤ改正で、乗り換え先の電車が先週より1分遅
くなっていたからということに気がつきました。新たな気持ちで
『希望の春』を探します。 (3月23日飯田芳男)
いしずえ357
■白い花びらの沈丁花をあちこちで見かけるようになりました。
「沈香(じんこう)と丁字(ちょうじ)の字を合わせもつ花」と
高校の授業で教わったことがあります。沈香は甘い匂いのことで
丁子はクローブという別称で、釘のようなつぼみの花です。沈丁
花は、「毬(まり)」のような花です。一中生の皆さんも探して
見てください。花言葉は『栄光』『勝利』です。昨日や今日のよ
うに大試合がある日は、用意しておきたい花ですね。
(3月22日飯田芳男)
いしずえ356
■教員になって初仕事が『お花見の席取り』だったような気がしま
す。30数年前の桜は4月に入ってから咲いていたはずです。温暖
化の影響が出ています。花見の席で、木や花の名前を教わり、遠足
の下見のポイントを学びました。今下見のポイントはスマホが教え
てくれます。昭和のおじさんは出る幕がありません。せめてWBCの
野球で若手に話題を提供。得意気に「侍ジャパンのトップバッター
は、ヌートバーだよね」と話すと「先生、アクセントが違います!」
違う意味の話題作りをしてしまいました。(3月21日飯田芳男)
いしずえ355
■お彼岸には「おはぎ」をいただくことがあります。我が家は「ぼた
もち」と言っていました。萩の花とか牡丹(ぼたん)にこだわらず、
「ぼたもち」のほうが庶民的な気がします。あくまで私の個人的見解
です。子供の頃、我が家の近所はこの時期、張り切ってぼたもち作り
をしていました。家々で味が違いました。ぼたもちが「春」を連れて
きてくれていたのです。 (3月20日飯田芳男)
いしずえ354
■立川市の花、こぶしがきれいに咲いています。モクレン科モクレン
属なので、私は容易にモクレンとの区別がつきません。花びら6枚が
完全に開いたのがこぶしだと思っています。こぶしの花言葉は友情で
す。一中生を応援してくれています。 (3月19日飯田芳男)
いしずえ353
■卒業生が新たな歩みを始めます。♪大人の階段のぼる…という歌を
口ずさむことがあります。私も順調(?)に大人への階段を歩んだつ
もりです。でもこの頃気が付きました。人生の階段は、一段一段高さ
がちがうことを……。 (3月18日飯田芳男)
いしずえ352
■卒業生が笑顔で下校してくれるいいなと思います。友達と「じゃあ
ね。」と別れるとき、「じゃあまた学校で」と言えないと思った瞬間
卒業を実感するかもしれません。 (3月17日飯田芳男)
いしずえ351
■昭和記念公園と諏訪ノ森公園で、ウグイスの鳴き声を聞きました。
最初はたどたどしかったのですが、何回か聞いていると上達している
のがわかりました。体育館の横ではメジロが花の蜜を吸っていました。
きちんと私にお礼を言いながら、何度も花びらをついばんでいました。
鳥の声も、木々の葉がこすれる音も、「卒業おめでとう」と言ってい
るように聞こえます。 (3月16日飯田芳男)
いしずえ350
■今日はオリーブの日です。昭和天皇が小豆島にオリーブの種をまいた
日が昭和25年の今日だということです。私はオリーブオイルで炒めた
パスタをたまにいただきますが、日本でもかなり消費されていることを
最近になって知りました。ポパイの恋人はおなじみの「オリーブ」です
が、それくらい食材としてのオリーブにもなじんでいこうと思います。
(3月15日飯田芳男)
いしずえ349
■東京のソメイヨシノが開花しました。九段の標本木を見に行ったこと
があります。きっと今日は多くの人が見守ったかもしれません。南国で
もない東京が全国で一番早いのは驚きです。さて、今日は3年生を送る
会がありました。心のこもった合唱に心が和(なご)みました。また、
趣向を凝らした生徒会制作のクイズでは、生徒の笑い声で体育館の気温
も急上昇。ソメイヨシノの開花を後押ししたかもしれません。
(3月14日飯田芳男)
いしずえ348
■今日はサンドイッチの日です。「1」が「3」に、はさまれているか
らです。教員採用試験で、サンドイッチにバターをぬる理由が問われた
ことがありました。正解として「パンに油膜を作り、食材の水分の浸透
を防ぐことでおいしさを保つ」という一例がありました。私も6年生の
調理実習「紅茶とサンドイッチ」の単元でバターの役割を指導したこと
があります。兄は「都立入試が9教科の頃も、バターの役割が出題され
ていた」と言っていました。バターより「都立入試9教科」に驚きまし
た。ともあれ、バターを見直しました! (3月13日飯田芳男)
いしずえ347
■立川の花「こぶし」がきれいに咲いています。いまだにモクレンとの
区別ができない私ですが、樹木の名札を頼りに確かめています。桃と梅
も恥ずかしながら「ウ~ン」と、うなりながら判別してます。植物学者
の牧野富太郎先生は独学で植物学を学び、「ヤマトグサ」と新種に命名
したエピソードは有名です。私は、今年、木や花の名前を新しく20、
覚えようと目標を立てています。めどはたっていません。
(3月12日飯田芳男)
いしずえ346
■震災から12年経ちました。当時は上砂川小の校長でした。あの日は
金曜日でした。揺れを感じて職員室に走り、「揺れています。落ちてく
るものに…」とアナウンスを始めました。校舎の「ミシ ミシッ」とい
う音は今も忘れられません。「校舎がつぶれる前に600人の児童の命
を守らなくては」という思いでなんとか校庭に避難させました。「阪神
大震災より揺れました。」という関西出身の若手教員の言葉で腹をくく
りました。それは被災地を思えば小さな杞憂でした。またあの時間がや
ってきました。言葉がありません。 (3月11日飯田芳男)