校長日誌

2022年10月の記事一覧

いしずえ214


■今日、読売新聞のコラムにあった「雲の畑」という子どもの詩で、ほっこりさせ
てもらいました。『雲がもこもこ うねになっている 空の上の人が胤みでもする
のかな』 私も作者を見習って、明日から、少し空を見上げて歩こうと思います。
                         (10月30日飯田芳男)

いしずえ213


■今日は『インターネット誕生日』です。世界で初めてネットワーク通信が行われ
た日が1969年の今日だということです。歴史は古いですが、『ネットで調べて』
が一般的になったのは平成の中頃のような気がします。あくまで私個人の感覚です。
以前、先輩の先生が電話線を買ってきて、学校のPCにつなぎ「世界とつながるぞ」
と熱く語っていました。5インチフロッピーディスクをながめながら思い出しまし
た。確か平成7年頃でした。            (10月29日飯田芳男)

いしずえ212


■昭和37年に一中生は全校で1579人でした。この年が最高記録のようです。
A組からK組まであった記録があります。学年の人数も多いので修学旅行などでは
最初の学級が見学を終えても、最後の学級は待機が続いたこともあったようです。
京都への修学旅行は車中で一泊し、東京駅からは8時間半かかったと文集に書い
てありました。機関車のススで顔面真っ黒で到着したようです。先輩方の苦労に
頭を下げるばかりです。             (10月28日飯田芳男)

いしずえ211


■平成3年までつめえりの学生服が標準服でした。今の標準服になったのはどうや
ら平成4年からのようです。一中生のスクールライフも一年ごとにはわかりません
が10年、20年で比べると大きな変化がみられます。50周年記念誌に、校区内
に「上の原駅」があったという記述があります。青梅線の単線(短絡線)に確かに
「上野原踏切」があります。ディーゼル車に引かれた貨物列車が発着していたそう
です。さっそく駅の跡をさがしてみようと思います。 (10月27日飯田芳男)

いしずえ210


■今日は元日から数えて299日目です。明日で300日。私の一日は長いですが
一年は早いです。でも学校生活の後半戦は、まだたっぷりあります。皆さんの活躍
を祈っています。今週は富士山が雪でおおわれています。「富士山は、すそ野が広
いから高くそびえる」と祖父が口をすっぱくして言っていました。「土台が大事」
ってことかなと、富士山をながめながら祖父の言葉を思い出していました。
                         (10月26日飯田芳男)