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喜ぶ・デレ 校長日誌 西砂の空から No10

校長日誌 西砂の空から No10 (2015/05/12)

 最近、「今日の給食」に特化してしまい、校長日誌から離れていました。
 反省しつつ、久しぶりの校長日誌を書きます。

 一昨日、日曜日に教え子の結婚式に参列しました。場所は、なんと代官山。毎日小平の我が家と西砂小との往復に明け暮れている私としては、まさに「上京」の感があります。
 (代官山を歩いている自分をよせばいいのに客観視してしまい、「似合わね~っ!」と自分で自分に突っ込んでいました。)
 
 さて、披露宴。(「挙式も参列してください」と言われましたが、恥ずかしくてやめました。)アラサーとなっている教え子(女子)は、とても美しくなっていました。披露宴の最中、小学生時代の(私が担任していた頃の)教え子がスクリーンに映し出されました。「ああ、これこれ。ホント、髪を短くして、男の子みたいな感じだった!」と懐かしく見入ってしまいました。

 ところで、私が彼女を担任したのは小学校の3・4年生の時。卒業学年の担任ではありません。それなのに、なぜ披露宴に呼ばれたのか?実は、年賀状のやりとりだけだった私と教え子が20年ぶりに再会した場所がドラマチックだったからだと思います。
 再会の場所は、アメリカ。教え子はアメリカの大学で音楽を勉強し、最後の、大学院がボストン。そこへ私がニューヨーク日本人学校の校長として、車で3時間ほどの距離のコネチカット州に赴任したのがきっかけで、再会したのです。それも20年ぶり。
 20年ぶりに再会した教え子は、当たり前と言えば当たり前ですが、立派に成長していました。そして、夢をしっかりもって、生き生きしていました。
 私が「幸せそうだね。」と言うと、教え子は、力強く「はいっ!」と返事をしました。
 その後、教え子は私より先に帰国し、素晴らしい伴侶に巡り会い、結婚に至りました。
 披露宴での幸せいっぱいの教え子を見て、私も幸せいっぱいになりました。

 教師にとっての幸せは、今目の前にいる子供たちが、幸せになることです。そして、自分の元を巣立っていった子供たちがその後の人生で幸せに暮らすことです。
 披露宴が終わってすぐに帰宅しました。時刻は夜の9時半。代官山から西の果ての小平ですから、その時刻になるのも当然です。
 でも、翌日、月曜日の朝。不思議と疲労感は残っていませんでした。
 理由は明快です。教え子の幸せな姿が見られたからです。
 
 西砂小学校の子供たちも、現在進行形で幸せであってほしいと願います。そして、もちろん、5年後、10年後、20年後に出会っても幸せであってほしいと願います。