Hello 校長室

Hello 校長室

いしずえ398


■今日は立春から数えて88日です。茶摘(ちゃつみ)の歌詞を、つい
口ずさんでしまいます。♪夏も近づく八十八夜(トントン)と手遊びを
入れて歌うと楽しいですね。八十八夜は、88日目の夜が過ぎたという
意味で、農作業の目安にもなります。立春を1日目と数えます。八十八
夜の今頃摘んだ「一芯二葉(いっしんによう)」という、若い芽2枚と
芯芽だけでつくるお茶は、最上級品と言われています。季節の移ろいを
楽しむ先人は「初物」にも敬意を払っていたのです。私も、せめて今宵
は急須で入れた日本茶をいただきます。    (5月2日飯田芳男)

いしずえ397


■鯉のぼりを気にかけて歩いてみますが、なかなかお目にかからなくな
りました。よそのお宅の鯉のぼりを探しているので、「見当たらない」
と言っては失礼な話ですね。我が家では上げたことがなかったのですが
一番上に上げるのが「吹き流し」という説があります。五色の吹き流し
は、青が春、赤は夏、白は秋、黒は冬だそうです。では黄色は?土用だ
そうです。でもこの五色は「魔除け」だと民俗学の授業で習ったことが
あります。ちなみに教授は「五色はごしきと読む」と教えてくれました。
ともあれ、一中生の成長を願って、柏餅をいただき鯉のぼりを眺めます。
                      (5月1日飯田芳男)

いしずえ396


■世の中では「ゴールデンウイークに入り…」(以下GW)と報じられて
います。語源が、「興行に使われたことが始まり…」とのことで、私は、
「大型連休」と言うようにしています。それは諸先輩からの指導の影響大
ですが。でも「GW」は1951年につくられたと言われています。もう
市民権を得た言葉だと思っています。あくまでも私の個人的見解です!
                      (4月30日飯田芳男)

いしずえ395


■今日は、天皇誕生日、いえ、昭和の日です。2007年から昭和の日とな
りました。しかし、1989年から2006年まではみどりの日でした。い
ろいろなドラマを背負っている29日です。とは言え祝日です。土曜だから
病院に行こうと思いましたが休業日でした。「夕刊がない」のが気になるの
は私のような昭和のおじさんだけでしょう。昭和64年の年賀はがきは取っ
てあります。昭和がどんどん「むかし」になっていきます。
                       (4月29日飯田芳男)

いしずえ394


■私が中3の時「おれ、悩みが多くって」っとたびたび友人に相談していま
した。でも悩みを口にすると、悩みが半減するので、友人の存在はありがた
かったです。そんな友人がある時、「おまえ去年の今頃、何で悩んでいたか
覚えてるのか?」と言ってきました。私は「ぜんぜん覚えていない!」と答
えると、「だから、あんまりくよくよしないことだよ。」と悠然と答えてく
れました。チェリオのオレンジを腰に手をあて飲みながら…。大型連休を迎
える頃いつも思い出す光景です。        (4月28日飯田芳男)

いしずえ393


■『奇妙な漢字』という本に、「読めそうで読めない漢字」の欄があります。
読み進めましたが、私にとっては「読めなさそうでやはり読めない」漢字が
並んでいます。「俎」の訓読みは「まないた」「栖」の訓読みが「すみか」
等々。読み込めず絶望的になっていったん本を閉じました。そんな時、しお
りをはさむことがあります。しおりは「栞」と書きます。はて?どんな字だ
っけ?そこで更なる課題が…。私には「書けそうでやはり書けない」漢字が
多いです! 手を動かして字を書かなくては覚えられないと、しみじみ思い
ました。                   (4月24日飯田芳男)

いしずえ392


■今朝、ラジオでアナウンサーが「おしょくじけんの背景は何でしょう?」
と言ってました。「ん❓お食事券の背景?」と興味津々でした。よ~く考え
れば「汚職事件の背景」ですね。ところで先日『厳選覚え違いタイトル集』
を読みました。私のような仲間ばかりでした。図書館員さんに「下町のロボ
ットありますか?」とたずねた方がいたようです。下町ロケットですね。次
は「だいぶつじろうの本ありますか?」これ、中学生の時私も言いました。
大佛次郎(おさらぎじろう)さんですね。一中生の皆さん、私のようになら
ないよう日々精進!             (4月26日飯田芳男)

いしずえ391


■このごろ見かけなくなりましたが、私は学年別の学習雑誌の大ファンでした。
小学校の時は「小学一年生」から六年生までを愛読。なぜか学校で配られる、
科学と学習と合わせ楽しんでいました。中学に入ると中一コースに中一時代を
愛読。二つの出版社がそれぞれ○○コースと〇〇時代を発行していて、友達と
コースと時代を交換していました。先日友人と、何だかんだ言いながら、学習
雑誌を探して神田の古本屋街を歩きました。ありませんでした。多分、永遠に
探せないと思います。インターネットに頼らないスーパーアナログおじさんの
旅にゴールはありません。            (4月25日飯田芳男)

いしずえ390


■立川は、昭和20年(1945年)2月16日以来、終戦まで13回空襲に
見舞われたと言われています。同年4月4日は山中坂の悲劇、今日4月24日
は砂川村が空襲を受けました。砂川国民学校(現在の八小)の三名の先生が命
を落としました。爆風のすごさは、長く校内で保管されてい二宮金次郎像から
伺えました。ひざ下と手首が破損していたのです。持っていた本もありません。
空襲から70年を経て、平成27年(2015年)に地域の方々の尽力で修復
されました。でも手に持っていた本は修復されていません。戦争の惨禍を後世
に伝えるためです。いつまでも「平和」を愛していきたいです。
                        (4月24日飯田芳男)

いしずえ389


■私が中1になった時、担任の先生以外に授業ごとに先生が変わるというのが
とても新鮮でした。おまけに私の担任の先生が家庭科で、授業をもたない先生
が担任ということにも驚きました。当時、男子は家庭科をやらなかったので、
今振り返ると別の意味で驚きですね。ともあれ、すこし大人扱いをしてくれる
中学校生活のスタートが嬉しかった思い出があります。私は図書委員になりま
した。蔵書カードにブッカー、貸し出し券に代本板。アナログな思い出がよみ
がえります。代本板は抜き出した本の代わりに立てかけます。顧問の先生が、
英語で「ダミー」と教えてくれました。中学の思い出を語ると夜が明けます!
                         (4月23日飯田芳男)