校長日誌

いしずえ

いしずえ185


■文化庁の国語世論調査が発表になりました。「姑息」の本来の意味は、「一時
しのぎ」です。私は73.9%の人が回答したように「ひきょうな」という意味だと
思っていました。今まで間違って使っていました。冷や汗が出てきました。しっ
かり学び直します。                (10月1日飯田芳男)

いしずえ184


■「一中の校庭は広い!」ある生徒が言っていました。でも小さい頃は、保育園や
幼稚園の園庭が、とてつもなく広く感じたのではないでしょうか。子供のころ見た
光景は、大人になって眺めると「何かちがう?」という場面も多いです。でもそれ
が楽しいですね。私が今朝、ミョウガを食べました。子供の頃は食べられませんで
した。年を重ねると、できることが増えていきます。ということは「今日より明日
は確実に成長している」と私は思うことにしています。 (9月30日飯田芳男)

いしずえ183


■校門近くにいると、キンモクセイの甘い香りがします。木犀の「犀」の字はサイ
です。モクセイの幹肌が、皮膚の堅い、動物のサイに似ているので「犀」をあてた
のが通説のようです。なかなか幹は見ませんが、今度良く観察してみようと思いま
す。白い花のギンモクセイは見かけなくなりました。香りがしないので探しにくい
ですね。なんとか見つけようと思います。だいだい色のキンモクセイの開花時期は
5日くらいです。大事に秋を楽しみたいですね。    (9月29日飯田芳男)

いしずえ182


■生徒が、生徒会活動や委員会活動に力をそそいでくれる姿に接すると嬉しくなりま
す。自分の時間を人のために使って活動してくれて頭が下がります。思えば家事もそ
んな一面があります。私は中学生の時は、風呂にお湯をいれることはやりましたが、
炊事、洗濯、掃除は親がやっていたので今になって感謝する日々です。私も皆さんが
何かをやってくれることに甘えず、あらためて心配りに励もうと思います。
                           (9月28日飯田芳男)

いしずえ181


■先日数年前の手帳を見ていたら、9月の朝礼の話のメモが出てきました。それは、
小学生向きの童話の引用です。『王様とお弟子さんの行列を出迎える時、お金持ちは
千頭の馬に、二千樽の油を運ばせて大通りの左右に明かりをともしました。でも都の
はずれの少女は、行列を歓迎したいのに、明かりをともす台も油ももっていません。
もちろんお金もありません。そこで少女は自分の髪を切り落とし、それを売り、一番
安い明かり台と少しの油で明かりをともし、大通りのはずれで行列を待ちました。さ
て、行列が近づくと王様に良いところを見せようとしたお金持ちの明かりは、強い風
が、一つ残らず消してしまいました。でも少女のたった一つの明かりだけは、あたり
を昼間のように照らし、決して消えませんでした。』心をこめて用意した一灯を皆さ
んはどう思いますか?……もっとうまく話したかったなと、手帳を閉じました。
                           (9月27日飯田芳男)