Hello 校長室

Hello 校長室

いしずえ521


■関東大震災は1923年の9月1日午前11時58分に発災しました。母が2歳10か月でした。日暮里に住んでいた祖母は、母をおんぶし、やっとの思いで火災から逃れたと言っていました。母は「今なら震度6。当日は強風が吹いていた」と祖母の言葉を私に話してくれたことがありました。ところで、震災後東京都はコンクリートでできた頑丈な小学校を建てていきました。通称『復興小学校』です。私はそのひとつに勤務したことがあります。地下にはまるでシェルターのような空間がありました。先人の工夫を肌で感じました。災害は忘れた頃にやってくると言います。気をひきしめています。(9月1日飯田芳男)

いしずえ520


■今日正午ごろの月齢はおよそ15.7、満月です。そして今月二度目の満月です。二度目の満月はブルームーンと呼ばれます。加えて今宵は今年一番大きく見える
満月、スーパームーンです。両者を合わせたスーパーブルームーンを堪能(たんのう)したいものです。今年2月の最も小さく見えた月より14%大きく見えるよ
うです。今夜の月は大きいといっても、いつだって月も星も、世界中の人々の夜を輝かしてくれています。ですから孤独な夜はありません。夜空ノムコウには、みんなのあしたが待っています。(8月31日飯田芳男)

いしずえ519


■子供たちが夏休みで、お昼ご飯を用意するご家族は大変だと思います。お察しします。私が中学の時は、祖母が用意してくれました。週3日×6週間がそうめんでした。祖母に「またそうめん?」と言うと「ピンクの麺が入っているのは冷や麦だよ」と注意されました。毎日「用意してくれるだけありがたいんだよ!」と叱られたものです。今では心から「ありがとう」と言えるのですが、あの頃は迷惑をかけていました。今はそうめんも冷や麦も大好きです。(8月30日飯田芳男)

いしずえ518


■先日クラス会に呼ばれました。30代前半の教え子に「調理実習の味噌汁づくりって役立ってるでしょ」と言ったら、「はい、飯田先生が味噌をこしてたけど今は顆粒ですから」と笑っていました。「キャベツの千切りできる?」と尋ねたら「カットキャベツですから大丈夫です」と返答。「調理実習って先生の準備って大変なんだよ」と一応くさびをうちました。加えて教え子たちが「先生が作った油揚げとねぎを混ぜたやつをもう一度食べたい」と言ってくれてびっくり!!それはあまった味噌汁の具です。でも子供のころ食べたおいしいものは、とびっきりのごちそうなんですね。(8月29日飯田芳男)

いしずえ517


■今日は「民放テレビスタートの日」だそうです。1953年8月28日の午前
11時20分に日本テレビで放送が開始されたそうです。もちろん私は生まれて
いません。両親に聞いた話では、私が生まれた年には、我が家にはテレビがあり
ませんでした。朝起きると、ラジオをつけるのが日課だったそうです。スイッチ
を入れて音が出るのに3分くらいかかる真空管ラジオです。テレビは私が5歳の
時やってきました。ひょっこりひょうたん島が大好きでした。画面の人形たちと
じゃんけんをして遊んでいました。今ではリモコンでめざましじゃんけんです。
今日は勝ちました!立川駅から学校までスキップしてきました!!
                         (8月28日飯田芳男)