校長日誌

いしずえ

いしずえ391


■このごろ見かけなくなりましたが、私は学年別の学習雑誌の大ファンでした。
小学校の時は「小学一年生」から六年生までを愛読。なぜか学校で配られる、
科学と学習と合わせ楽しんでいました。中学に入ると中一コースに中一時代を
愛読。二つの出版社がそれぞれ○○コースと〇〇時代を発行していて、友達と
コースと時代を交換していました。先日友人と、何だかんだ言いながら、学習
雑誌を探して神田の古本屋街を歩きました。ありませんでした。多分、永遠に
探せないと思います。インターネットに頼らないスーパーアナログおじさんの
旅にゴールはありません。            (4月25日飯田芳男)

いしずえ390


■立川は、昭和20年(1945年)2月16日以来、終戦まで13回空襲に
見舞われたと言われています。同年4月4日は山中坂の悲劇、今日4月24日
は砂川村が空襲を受けました。砂川国民学校(現在の八小)の三名の先生が命
を落としました。爆風のすごさは、長く校内で保管されてい二宮金次郎像から
伺えました。ひざ下と手首が破損していたのです。持っていた本もありません。
空襲から70年を経て、平成27年(2015年)に地域の方々の尽力で修復
されました。でも手に持っていた本は修復されていません。戦争の惨禍を後世
に伝えるためです。いつまでも「平和」を愛していきたいです。
                        (4月24日飯田芳男)

いしずえ389


■私が中1になった時、担任の先生以外に授業ごとに先生が変わるというのが
とても新鮮でした。おまけに私の担任の先生が家庭科で、授業をもたない先生
が担任ということにも驚きました。当時、男子は家庭科をやらなかったので、
今振り返ると別の意味で驚きですね。ともあれ、すこし大人扱いをしてくれる
中学校生活のスタートが嬉しかった思い出があります。私は図書委員になりま
した。蔵書カードにブッカー、貸し出し券に代本板。アナログな思い出がよみ
がえります。代本板は抜き出した本の代わりに立てかけます。顧問の先生が、
英語で「ダミー」と教えてくれました。中学の思い出を語ると夜が明けます!
                         (4月23日飯田芳男)

いしずえ388


■学校の掃除の時間に箒(ほうき)を使います。教室の掃除のねらいは、昭和
の時代は消しゴムのかすと土ぼこりの除去でした。でも学校のほうきでは容易
にごみがとれません。担任のころ、学校全体の清掃担当を命じられた私は、各
教室に掃除機を設置してほしいと事務担当者にお願いしたところ、「予算がな
いから難しいですね。飯田先生が校長になったころは実現すると思いますよ。
頑張って!」と励まされました。廊下を掃きながら「ほうきが一番!」とつぶ
やいている自分がいます。            (4月22日飯田芳男)

いしずえ387


■中学1年生に疲れがでる頃です。小学校の時にあった「休み時間(中休み)」
がないのも一因かもしれません。そのうちペースをつかむと体が慣れてきます。
ご安心を。さて、この中休みという名称ですが、ある調査では20分休み、業間
休み、中休みが全国ベスト3です。大休憩とか大放課と呼ぶ地方もあるようです。
ともあれ、上手に休憩をとってほしいと願います。  (4月21日飯田芳男)