文字
背景
行間
校長日誌
いしずえ
いしずえ170
■読売中高生新聞『シゴトビト』欄は理容師さんを紹介していました。国家試験に
合格する必要があるようです。やりがいのある仕事ぶりが紹介されいました。私が
子供の頃は父が刈ってくれました。髪を切るのではなく「刈る」という作業でした。
とんでもない仕上がりでしたが、最後に父が私の首筋に白い粉を塗ってくれました。
天花粉(てんかふん)と言いました。商品名ではベビーパウダー、シッカロール、
汗知らず等です。当時はいいにおいだと思っていて気に入っていました。とっても
昭和の香りです。 (9月16日飯田芳男)
いしずえ169
■この頃テレビのチャンネル争いの話題が聞かれなくなりました。我が家は数年間テ
レビは一台しかありませんでした。自分が見たい番組を見られるチャンスはそうそう
めぐってきませんでした。家族中でチャンネル争いに意欲的でした。また、我が家は
勉強机もひとつしかありませんでした。でも三人兄弟でしたが「勉強机争い」は起き
ませんでした。あのころ勉強机にかじりついていたら成績向上につながったはずです。
もっと勉強していれば良かったと反省です。 (9月15日飯田芳男)
いしずえ168
■立川市ステージガーデンやソラノホテルのあたりが、まだ更地(さらち)だった頃、
ヤギが数頭、草むしりをしてくれていました。私も近づいて行っては「草、おいしい?」
と声をかけていました。必ず「ウ~メ~」と答えてくれてくれました。私は市内でヤギ
を飼っていた学校に勤めていました。児童も、地域の方も可愛がっていました。しかし、
その学校で校舎の工事が行われることになり、ヤギが飼えなくなるという事態になりま
した。児童や地域の方には事情を話し、泣く泣くヤギを大学に戻すことになりました。
学校を去る日、軽トラックの荷台にヤギはなかなか乗ろうとしません。ちょっとしんみ
りしてしまいましたが、何とか大学へ。今度は降りようとしません。もちろん結局は、
お別れしましたが、せつないシーンでした。ヤギを見かけるたびに、今でも「草、おい
しい?」と近づき、顔を確かめています。 (9月14日飯田芳男)
いしずえ167
■祖父は80歳を過ぎても、新聞のコラムをノートに書き写していました。ものを書く
ことが好きだったようです。「鉛筆と帳面があれば退屈しない」と笑って言っていまし
た。ところで、祖父の言う帳面はノートのことです。でもノートは「書き留める」や、
「書き留めたもの」という意味のようで、帳面は紙を閉じ合わせた冊子(さっし)のよ
うなイメージがあります。皆さんに「帳面持ってきて」なんて言っても通じませんよね
~。しかし、大正生まれの祖父は、ほとんどカタカナを言わない人でした。おもしろい
ですよ。試験が終わったらお知らせしましょうか? (9月13日飯田芳男)
いしずえ166
■そろそろキンモクセイの香りがただよう頃です。ギンモクセイの改良がキンモクセ
イだとか。そのキンモクセイもギンモクセイもモクセイの変種だそうです。そのあた
りは植物学者の牧野富太郎先生が詳しいはずです。金木犀、沈丁花、クチナシは日本
の三大香木(こうぼく)と言われています。香りと言えばナイアガラというぶどうも
甘い香りがします。旬の香りは趣(おもむき)があります。(9月12日飯田芳男)