Hello 校長室

Hello 校長室

戦後80年記憶の先へ 朝日新聞記事から(Hello校長室 8月18日)

 昨日の朝日新聞の記事でゾウ列車について掲載されていました。戦中に上野動物園のゾウが餓死させられた「かわいそうなゾウ」のお話は今でも涙が出てきます。終戦時、全国に残ったゾウは東山動植物園の2頭と現京都市動物園の1頭だけだそうです。助かった像の歴史を調べてみることから小学校の小出先生ははじめ、それをまとめて教え子たちに配布したそうです。そこから絵本が刊行され、合唱曲「ぞうれっしゃがやってきた」にもなり全国に広がっていったとありました。物語のバトン、平和とは何かを考える機会となって記憶の継承になっていると思います。ゾウ列車とは各地の子どもたちを名古屋に運ぶことを旧国鉄が考え1949年6月から始まり秋までに1万人以上が乗って子どもたちがゾウに会いにこれた取組です。はじめて知ったことでしたので皆さんにも伝えたくなり紹介しました。

 

雪風(Hello 校長室 8月18日)

映画「雪風」は試写会でみました。数々の海戦に参加しその中で最後まで帰還することができた駆逐艦です。そのために「奇跡の駆逐艦」「幸福艦」として有名です。戦艦大和が沈没するにあたり多くの隊員を助けました。戦後は賠償艦として中国に引き渡されたことを調べてはじめて知りました。それぞれが自分の役割を懸命に果たすことの大切さやも命をかけとは使命をもってのぞむことであることを感じます。自分も身を引き締めての思いです。

 

 

立川市中学生広島平和学習派遣事業(Hello 校長室 8月17日)

 本日から2泊3日で立川市中学生広島平和学習派遣事業が始まりました。市内各中学校の生徒1名が作文の審査を経て代表として選ばれました。教育委員会の引率者のもと立川駅に6時45分集合し出発式を行い広島に向けて出発しました。歴史を振り返り、自分事として捉えて学びを深めてきて欲しいと思います。

 

8月16日の朝日新聞の記事を読んで(Hello 校長室8月16日②)

 私が戦争に関心を強くもつようになったのは管理職になってからです。なぜ日本は戦争をしなければいけなかったのかを考えるようになりました。また自分が昭和史について知らないことが多かったので勉強しなければいけないと感じたことがきっかけでもあります。本日の朝日新聞の記事の中で石破首相が「なぜ日本があの戦争に突き進んだのか」という問題に強い関心をもつとありました。また歴史と向き合う姿勢を重視するきっかけがシンガポールのリー・クアンユ-初代首相と面会したときにの会話でリー氏から「日本がシンガポールを占領した時に何をしたのか、知っていますか」と問われ、首相は言葉に詰まったという。リー氏は「日本人が忘れてもシンガポール人は決して忘れない」と告げたという。首相は著書で「時がたてば戦争の加害者は忘れてしまうことも、被害者は絶対に忘れないことも、身に染みて教わった」と振り返っていると書かれていました。全国戦没者追悼式での式辞で反省という言葉が13年ぶりに復活したともありました。比嘉幹郞元沖縄県副知事は学徒として戦闘に参加させられたと述べた上で「元小渕首相が大学時代からよく沖縄に来て遺骨収集もしていた。沖縄の理解者だった」とも述べています。小渕元首相が遺骨収集をしていたとはじめて知りました。満州国のことや5.15事件や2.26事件、戦争での出来事や戦後等の昭和史について本を読んだり講演会に聞きに行ったりしてきましたがまだまだ知らないことが多いと感じています。だからこそ知ることからはじめることが大切と痛感しています。これからも学びを止めない気持ちに本日の朝日新聞を読んで感じました。

 

8月も後半に入りました。(Hello 校長室 8月16日)

 8月も後半に入りました。夏休みも後2週間を切っています。自分の生活を振り返ってみるのも大切かもしれません。朝は早く起きていますでしょうか。宿題や学習は計画通りに進んでいますでしょうか。もし生活の習慣が崩れていたら少しずつ元に戻していくようにしましょう。1学期の終業式での話は「志を高く」でした。「今日1日頑張ったぞ」と自分を褒められる日であって欲しいと思います。私自身もがんばります。

 

終戦の日(Hello校長室 8月15日)

 本日は終戦の日です。戦後80年ということもあり、どのように継承していくかが焦点の一つだったように感じます。朝日新聞では戦争体験のある政治家の記事が連載されています。戦争体験をしている政治家は核の恐ろしさや悲惨さを肌で感じています。その方たちもすでに政界は引退されています。福田元首相はコミュニケーションの重要性を説いていました。昨日は3冊の本を読みました。戦争に関する本は2冊読みました。「戦争を知らないキミヘ」(ポプラ社)は1945年に13歳であった竹村さんの日記を分かりやすいように伝えています。日々のほとんどが勉強らしい勉強はせず、工場での作業の動員や食べ物の確保のための農作業です。回顧録ではなくその時の日々の日記なので「現実」として伝わってきます。「日本軍朝鮮人兵士忘れ去られた37万人」(かもがわ出版)では朝鮮の人が軍人軍属でいたこと、特攻で亡くなった朝鮮の人もいることを伝えています。戦争の継承は日本がされたこと、したことの両面から学習する大切さを感じます。本日は終戦の日ですが、8月9日にソ連が参戦し15日以降も戦いが続いていたことも忘れてはなりません。戦争の悲惨さや後遺症等で苦しんでいることを思うと戦争に終わりはないのではないか考えさせられます。終戦の日、皆さんはどのようなことを感じていますでしょうか。

 

森保一監督(Hello 校長室 8月14日)

 「森保一の決める技法」~サッカー日本代表監督の仕事論~という新書を読みました。その中で現在活躍しているZ世代(1990年後半から2010年前半までに生まれた人々)選手との付き合い方について記しています。要約すると「彼らの一個人としての尊厳を傷付けず、承認欲求を満たし、アドバイスする際は効率性を重視し、オープンでフラットな関係の構築に努める」とありました。私が育った巨人の星のような根性論ではうまくいきません。学校現場でも若手教員との関係をどう築いていくか大切です。本の中では栗山英樹監督(WBC 野球監督)についても記されていました。部屋の中に積んである本を読むのも私の宿題です。

(上の雲の写真は、馬のように見えましたがどうでしょうか)

長崎~閃光の影で~(Hello 校長室8月13日)

 昨日は「長崎~閃光の影で~」の映画をみてきました。日本赤十字社長崎支部が発行した「閃光の影で」原爆被爆者救護赤十字看護婦の手記を原案とした作品です。

原爆を落とされ家族や恋人を失い、救うことのできる命よりも怪我や被曝で多くの命を失わざるを得ない現実、そして死体を焼却する過酷の現実の中で生きる希望を見いだしていく映画でした。最後の場面で施設の婦人が「生かされている」という表現をしていました。このような過去があって今があることを忘れてはなりません。どのように継承していくか自分自身の課題でもあります。

 

甲子園のドラマ(Hello 校長室 8月12日)

 甲子園で愛知県代表の豊橋中央高校が出場しました。しかし豊橋中央高校にはブラスバンド部がないため、愛知県の決勝で敗れた東邦高校に応援をお願いしたそうです。東邦高校のマーチングバンド部はその依頼に対して了承しました。そして友情応援として甲子園で演奏しました。短い時間の中で練習を重ね、ライバル高校の応援に自分の力を役立てることに感動します。残念ながら豊橋中央高校は敗退してしまいましたが、甲子園のドラマの一つだと確信します。

 

日野市郷土資料館(Hello 校長室 8月11日)

 日野市郷土資料館に行ってきました。小学校の跡地で日野市の教育センターも併設されています。一つの教室を活用して「明日に伝える戦争体験戦後80年~平和をつなぐ~」の展示がされています。昭和55年前後に出された戦争についての日野市内小学校の文集をメインとした内容です。

職場体験に訪れた中学生の絵や文章も掲示されています。

昭和55年というと私は中学生です。この頃は戦争を体験した祖父母や父母から戦争の体験をじかに聞くことができたとあります。私も父親にもっと戦争の話を聞いておけばよかったと思うことが度々あります。

本校でも何か平和について考える取組の大切さを感じています。

 立川市富士見町の山中坂の空襲については後日お伝えしたいと思います。

多摩地域も疎開の場所でした。疎開の場所についても自分の目で確かめたい気持ちになりました。訪れることができたらまた紹介したいと思います。