日誌

カテゴリ:学校のようす

校庭は徐々に広がったの巻

 
図書室のおすすめ本が、「8月の本」に
変わりました。次の開館日は8月22日
(月)です。9:00~12:00。
来てください。(貸し出しと返却)

昭和40年くらいまで校庭の真ん中にあった
大きな木です。よき遊び場にもなったそうで
す。運動会も木を囲むように演技をしたので
すね。桜の木です。

さて、明治33年(1900)に流泉寺から
今の場所にうつり、西砂川尋常小学校に、
名前が変わりました。260人を4教室で
教えていたのだから、大変だったと思います。
※1学校沿革誌第一巻より以下同じ

明治40年児童が増えた(350人)ので
教室を増築します。授業も午前と午後の、
二部制でした。南には井戸があり、これは
たぶんなのですが、大きな木はその隣にあ
ったのではないでしょうか。やがて、校庭
を広くした結果、大きな木が校庭の真ん中
になったとのことです。※1

昭和40年(1965)になり児童数が
ふえて、校舎が足りずなんと午前2回・
午後1回の3部制授業になりました。
さらに校庭がまたひろがりようやく今の
大きさになりました。※1

飛行機の音が問題になり防音の鉄筋校舎
の第一期工事が始まりました。ここにあっ
た木造校舎を移動(牽引)するために、
大きな桜の木がどうしても邪魔でついに
切り倒されてしまいました。※1

これが第一期工事。今の相談室が昇降口で
この渡り廊下が、牽引した木造校舎につな
がっていたのです。防音の鉄筋で、家庭科
室・図書室・音楽室・普通教室が6教室。
当時では、画期的な新築だったと思います。

この後も児童数は増えて、1000人を超えて、
分校は西砂小学校となり、松中小・大山小・柏
小ができて少し減り、またもう一回1000人
を超えて上砂川小学校ができて、ようやく児童
数が落ち着きました。今も少しずつですが人数
はふえて547人。市内19校中4番目に多い
学校です。(5月1日現在)。
※100周年・140周年記念誌「あしっこ」

次回は、「ついに分かった体育の発表会の巻」
の予定です。