日誌

2022年7月の記事一覧

大山道は歴史の道


九小から五日市街道に出て、流泉寺さんの
前を通って少し歩くと、大山道(おおやまどう
・おおやまみちとも)につながります。

今の神奈川県の大山には、雨乞いの霊験が
あるといわれていました。江戸時代日照り
や飢饉が続くと農民などを中心に、この大
山にお参りをしたそうです。やがて、農民
以外の人々も、この大山にお参りするよう
になりました。※以下※印はフリー画像
から転送しました。

関東各地から大山につながる道が
でき、それを大山道とか、大山街
道と呼びました。この図にはあり
ませんが、埼玉から立川を通って
甲州街道で大山街道・八王子道に
つながりました。※

最盛期には年間20万人もの人が、
この大山参りをしたそうです。砂
川の大山道も賑わったことでしょ
う。古典落語にも「大山参り」と
いう、楽しい噺があります。
残念ながら、昭和記念公園で大山
道は途切れてしまいますが、大山小
学校や、大山団地にその名は残って
います。※

こんぴら橋会館のそばにある、馬頭
観音です。荷物を運んでくれる馬の
供養にたてられたのですが、交通事
故に合わないよう、再建されました。
この手前の道が、大山道だったと思
われます。

金毘羅橋を渡ると、立川唯一の山金毘
羅山や、「大政奉還図」を邨田丹陵先
生がここで描いたアトリエ跡が、あり
ます。ちなみに邨田丹陵先生は、明治
5年まれ。第九小学校と同じく、生誕
150年にあたります。

これは今の立川街道。大正時代には
この道を馬車(客車を馬が引っ張る)
が通っていたそうです。五日市街道
とぶつかる辺りで終点。立川駅まで
1時間くらいだったそうです。

ここにまいまいず井戸の説明が
あったのですが、工事中で一時
外しているようです。

これは、羽村に今も残るまいまいず井戸
です。砂川の所にもこんな、かたつむり
(まいまい)の井戸があったそうです。
特に玉川上水・砂川分水ができる前は、
大切な井戸だったのではないでしょう
か。※

そして先ほどの大山道の標識の反対側
辺りにひっそりとたたずむ、「大山道」
の道標。ちょっと見付けにくいですが、
見付かると感動します!

100周年の記念誌に残る、大正11年
の絵地図で、今日の場所のおさらいです。
他にも気になる名前の道や橋、などがあ
ります。さすが、歴史ある砂川地域です。