日誌

2022年8月の記事一覧

岩石の話


水泳の指導も終わり、閉栓し、機械も停めて
います。最終確認をする水道の業者さんと、
カギを開ける管理人さんです。これで、完全
に今年度の水泳に関する事は、終わりました。

理科室には棚がたくさんあり、安全に実験や
観察ができるように、理科主任を始めとする、
先生方が整理整とんをしています。

ここに丁寧にしまってある、岩石標本
です。6年生が主に使います。

火成岩は、マグマが冷えてできた岩石。
つぶつぶがきれいです。あとごつごつと
しています。(大雑把すぎる説明ですが)

これは別の標本で、堆積岩。川の水などで
流されて積み重なり、ぎゅっと押されてで
きたもの。時に化石が出たりします。

というわけで、鉱物化石標本。なんと昭和38年
今から60年近く前に購入したもの。2年間あった
砂川二小時代から、大事に使用しているものです
ね。

これは印旛沼の近くでとれた、ウニの仲間の
化石とのこと。

うおー!大昔のウニですね。こんなふうに
手にとってさわったり、虫眼鏡でも観察
できますね。他にも、今は一人一台タブレ
ットで動画を見たり、撮影したりまとめた
りできます。

岩石園からあしっ子ガーデン


昭和44年度の卒業アルバムです。
タイトルは「想い出」そしてかっこいい表紙。

今の北校舎裏の自転車置き場あたりに、
学級園があったのですね。しかし説明の
文章が面白いけれど、今ではやり過ぎと
言われるかも。今は校庭にある百葉箱も
ここにあったのですね。

そして、ついに発見!今のあしっ子ガーデンに
この頃は岩石園があったのでした。理科で学ぶ
ような岩石を並べて展示してました。

20年前、130周年の時に、ここをあしっ子
ガーデン130として作ったのです。地元
の地域のお力の結集です!

よくみると、ここが岩石園であった
ことがよく分かります。

その手前には、池のあるあしっ子ガーデン
140。10年前にできました。今もお魚が
涼しげに泳いでいます。

この場所で、あさがおや野菜の観察を
したり、上履き洗いをしたり、みそ作
りの場になったり・・・・。いろいろ
な学びの場になってます。

夜月に照らされている、あしっ子ガーデン。
さっき気がついたのですが、この暑いのに、
コオロギの鳴き声が今年初めて聞こえまし
た。(数匹です)。猛暑でも、少しずつ秋
の足音はするのです。
さて、岩石園からあしっ子ガーデンになり
ました。では岩石の勉強はどうするの?
続きは次回に!

猛暑再び


学校内や学校の付近には、ひまわりがたく
さん咲いています。これが一番豪華かな。
2m近くあります。青い空に映えますが、
暑さ復活。みなさん気をつけてください。

おなじくさるすべりも、満開。豪華な
咲きっぷりです。通学路にて。今日も
都内は猛暑日で、午前中に熱中症アラ
ート(警告)が出ました。猛暑日は、
最多記録になったそうですね。

暑くて元気なのは芝生もそうですね。近くで
見るといろんな草が生えていますが・・・。
運動会の練習や、レクなどに活躍しそうです。

今年は特に元気がよく、芝生を囲う柵を
はみ出しています!業者さんや用務主事
さんのおかげです。ただ、「しばふ!」
と叫んでいるだけの副校長はお門違いで
すが・・・。

今日は長崎の原爆の日でした。当時の学校日誌を
開くと、まず8月6日以降に広島のことが全く記載
されていません。この記録者の大串さんは、結構
細かいことも書いている方なので、まだ情報が伝
わってなかった可能性があります。6日には、校
長先生が小金井や府中の國民学校へ、事務の方が
西府國民学校へ出張されていることからも、感じ
られます。※

8月9日以降は、もっと記述が少ないです。
びっくりするのは、この時期になっても、
空襲警報が、発令・解除されていること
です。あと、気温が5度ほど低いこと。
そして、15日の日を九小も迎えます。※
※西砂川國民学校日誌より。

次回は「ついに見付けた岩石園の巻」を
配信予定です。

保健教育研究発表会


3年くらい前に、パソコン室を算数教室
等の多目的室にする作業をしました。
校長先生が昔のアルバムを発見して、
紹介してくださいました。
その時に、体育の授業の発表をしている
写真があり、いつの写真か気になってい
ました。

これは、学校の沿革誌です。ついにそれ
らしき記録を見付けました。
保健教育研究発表会 昭和37年9月11日(火) 
ちょうど60年前ですが・・・・。

おおぴったり!今の五日市街道の
門柱で、お客様を迎えています。
おや、今と違って学校道が少しだ
けカーブしていますね。

昇降口で、お客様を待ちます。古い木造校舎
ですが、掃除をしてきれいです。雰囲気があ
りますね。PTAの役員さん委員さんが、こ
のように、発表会を支えてくださったのです。

1時間目は、教室で授業でした。
2年1組 道 徳「運動会」 
4年2組 学級会「遊びのときのけがの予防」
4年3組 理 科「食べ物と栄養素」
等々、保健教育に関する授業を公開していました。
2時間目と3時間目に体育を行わない学級が
1時間目に教室で保健教育を公開したのです。

2時間目は、4学級が体育。
1年1組 水遊び  3年1組 水泳
1年3組 置きかえリレー他
3年3組 腕立て飛び上がりおり
プールは昭和35年に完成。小プールがある
のは珍しく、他校の先生が関心を寄せていま
した。分校の子どもたちは、バスでプールに
通っていたそうです。大変だったでしょうが、
子どもたちは大喜び。この授業公開も、2つ
のプールで同時に行われたようです。

3時間目も体育
2年2組 水遊び 4年1組 水泳
5年1組 台上前回り 
6年1組 リズム運動(表現)
これは、6年1組の授業です。暑いとは言え
ランニングの体操着もあったのですね。この
写真から、校庭をコの字型に校舎が囲ってい
たことが分かります。

午後は体育館がまだないので、大きな教室
(講堂?)で行いました。140名もの参
観者でぎっしりです。
「保健教育のねらいは、その指導内容の習
慣化である」ということが強調された発表。
令和の今でも、大事なことですね!
最後に文部省(当時)のユネスコ課長様から
「国際理解と青少年の問題」という講演をし
ていただきました。

研究発表や、講演を行った場所は、この明るい
校舎ではないかと思われますが、どうでしょう
か。約60年前の発表会でした。

校庭は徐々に広がったの巻

 
図書室のおすすめ本が、「8月の本」に
変わりました。次の開館日は8月22日
(月)です。9:00~12:00。
来てください。(貸し出しと返却)

昭和40年くらいまで校庭の真ん中にあった
大きな木です。よき遊び場にもなったそうで
す。運動会も木を囲むように演技をしたので
すね。桜の木です。

さて、明治33年(1900)に流泉寺から
今の場所にうつり、西砂川尋常小学校に、
名前が変わりました。260人を4教室で
教えていたのだから、大変だったと思います。
※1学校沿革誌第一巻より以下同じ

明治40年児童が増えた(350人)ので
教室を増築します。授業も午前と午後の、
二部制でした。南には井戸があり、これは
たぶんなのですが、大きな木はその隣にあ
ったのではないでしょうか。やがて、校庭
を広くした結果、大きな木が校庭の真ん中
になったとのことです。※1

昭和40年(1965)になり児童数が
ふえて、校舎が足りずなんと午前2回・
午後1回の3部制授業になりました。
さらに校庭がまたひろがりようやく今の
大きさになりました。※1

飛行機の音が問題になり防音の鉄筋校舎
の第一期工事が始まりました。ここにあっ
た木造校舎を移動(牽引)するために、
大きな桜の木がどうしても邪魔でついに
切り倒されてしまいました。※1

これが第一期工事。今の相談室が昇降口で
この渡り廊下が、牽引した木造校舎につな
がっていたのです。防音の鉄筋で、家庭科
室・図書室・音楽室・普通教室が6教室。
当時では、画期的な新築だったと思います。

この後も児童数は増えて、1000人を超えて、
分校は西砂小学校となり、松中小・大山小・柏
小ができて少し減り、またもう一回1000人
を超えて上砂川小学校ができて、ようやく児童
数が落ち着きました。今も少しずつですが人数
はふえて547人。市内19校中4番目に多い
学校です。(5月1日現在)。
※100周年・140周年記念誌「あしっこ」

次回は、「ついに分かった体育の発表会の巻」
の予定です。