日誌

2020年8月の記事一覧

天敵!路線バスの旅(おまけ)


先週の路線バスの旅は昨年の再放送でした。
今日は、新作。密を避けて路線バスではなく、
大型観光バスで、間を開けてます。

国立競技場から、阿佐ヶ谷で食事。そして我が
昭和記念公園のひまわり畑を見て、東京地球農
園がゴール。今日はゴールで無いから大丈夫で
しょう。ちゃんと立川を通ったら先週のオイタ
は許してあげましょう。

むむ、また食事の後寝てしまう徳光氏。
いいよなこれが仕事だなんて。スタッフ
もわざと寝かせている様子。またやな予
感がしてきましたが、次は昭和記念公園
だから大丈夫でしょう。

ところが、なぜかまたも府中市のボートレース
多摩川へ。そうだ徳光氏は競艇大好きだったな。

結果は、やはり昭和記念公園をスルー。
ふざけんなよ!今後一歩たりとも立川の
地を踏ませねえぞ!しかもゴールの東京
地球農園(あきる野市)には行く。天敵
だなあ、この番組は!「だったらみるな」
なんてゆわないでね。

くわのみ学級の花壇は、花盛り。これも地域の方に
聞いた言い伝えですが、「蜂の巣が低いときには
台風が多い」とのこと。実際昨年は低くて台風が
すごかったですね。今年も蜂の巣の位置が低いそ
うです。ネットにも載ってました。科学的根拠は
ない(風が強いから巣が飛ばされないように?)
と思うのですが、気をつけようと思いました。
台風でないけど豪雨は今年も多いですしね。

涼しげな、「あしっ子ガーデン」の池です。
さあ、夏休みも後一週間。宿題なども気に
なるでしょうが、今年は生活リズムを崩さ
ずに、健康のことを第一で。24日には、
元気なみんなに会いたいですよ!!

新しい時代へ


40度越えもあった今日の日本。夕方には夕立が。
稲妻もぴかり。カミナリがの光が多いと、お米は
豊作だという言い伝えがあり、「稲の妻」と書き
いなずまと読むのだそうですね。立川は大丈夫で
したか。

夏休みの自由研究で「夕立で頭を洗うことが
できるか」と言う鉄腕DASHなみのテーマで
研究をしました。実際洗えましたが、当時の
担任の先生にあきれられました。親には怒ら
れました。いい子はまねをしてはいけません。

戦争が終わり、落ち着いて勉強ができるように
なりました。でもこの写真を見ると、やせてい
る子どもが多いですね。農村地帯の砂川でも、
強制配当の食料供出があったため、食べ物には
苦労されたそうです。校舎の窓ガラスも無いと
ころがありますね。中央には、二宮金次郎さん
の銅像が!校舎改築前は、校庭にあったのです
ね。大変な時なのに、子どもたちはいい顔をし
ていますね!これも貴重な一枚です。

占領時代、掃除をしていると、軍靴のまま視察に
来た進駐軍の兵士に出会い、びっくりしたそうで
す。このあたりは基地があったから、よく視察に
来たみたいです。

この写真も2度目です。昭和30年あたりになると
夏休みに各地区で、「緑陰子ども会」と言う勉強会
をしていたそうです。先生も各地区をまわって指導
しました。当時は学区域がもっと広かったから、大
変だったそうです。上級生も下級生を教えてたそう
です。

班長さんの農家の庭先や、裏山の木陰などに、
むしろなどを置き、張り板やリンゴ箱を並べ
て夏休みの宿題をやったそうです。縦割りの
伝統はここから続いているのですね。緑陰子
ども会は昭和45年くらいまで続きました。
(出典:創立百周年記念誌「あしっこ」)

月・やけどなどに注意・鳥の指


今朝の明け方、月と金星がならんでいまし
た。カメラと腕のせいで月が丸く見えます
が、細ーい月でした。

朝焼けで、雲がムラサキになり、きれいでし
たね。夏休みならではです。

熱中症と感染症の両方を予防するために、
屋外では2m以上離れた時は外してもよ
い。マスクを付けるときにはゴクゴク水
を飲みましょう。判断力と工夫で乗り切
りましょう。

先日の猛暑の日、新家橋の手すりが熱くて、び
っくりしました。自転車のサドルなど、熱いの
で注意しましょうとのニュースです。今日も朝
から熱中症の警報が流れました。気をつけまし
ょう。

これは先日の写真です。くわのみ学級のしそや
花の花壇がカラカラでした。じりじりです。く
わのみのみんな、しそがおい「しそ」うでしたよ。

明日は、開館日ですが、しっかり水分をとって
気をつけてきてください。大人の玄関から入っ
てきてくださいね。

大門軍団ならぬ、クロコ軍団。ポーズがなぜか
決まってますね。

ところで、この足の指、変形か病気かと
思っていました。これは蹴爪といって、
(爪ではないが)後ろ指なのだそうです。
つまり普通のニワトリはこのように前3
本、後ろ1本の計4本なのだそうです。

ところが、クロコは前3本後ろ2本。闘鶏用の
軍鶏や、烏骨鶏など一部のニワトリは5本なの
だそうです。やはり五本指のヤツは、闘鶏の血
が騒ぐ乱暴者ですね。それに後ろ指がないと、
寝床の枝に捕まれないですよね。ネットで、
「ニワトリの足」で検索したら、おいしいお店が
いっぱい出ました。そうか、軍鶏の足は特別おい
しいのか・・・・!ヒッヒッヒ・・・。

記念誌や資料から考える


75年前の8月15日の正午もこんな晴だった
と聞きます。風がなくてたれていますが、平和
の青空の下です。

砂川村の農家でも、青年が兵士となって子ども
たちは、中神駅まで送っていったのだそうです。
先生方の中にも、昨日まで授業をしていたのに、
今日は出征兵士となって行かれた方もいらした
そうです。(たぶん子どもたちには、前もって
知らせなかったのでしょう。)記念誌には戦場
へ行かれた先生が書いたお別れの詩が載ってい
ます。「さらば武蔵野よ いとしの児よ」と書
いて昭和18年の10月に征かれました。

日々の生活においても、記念誌などのお話を
読むと、大変なご苦労だったことが、分かり
ます。終戦の昭和20年になると、砂川にも
空襲の被害が広がりました。特に8月2日の
明け方には、西砂の中里地区や四番地区の、
合計26軒が焼けたそうです。この時分校も
焼けてしまいました。あと少しで戦争が終わ
るところでした。しばらく、集まって自分た
ちで学習をしたそうです。

何回か載せましたが、昭和二十年の
学校日誌。西砂川國民學校と校名が
変わっています。本物です。

やはり、8月15日は、30度の晴れでした。お昼
からのラジオ(玉音放送)で戦争が終わったことを
淡々と書いてあります。もちろん不安ではあったで
しょうけれど・・・。

話はさかのぼります。これは昭和12年度
です。1月1日にみんな登校して、式を行
ったのです。分校の1年生から4年生も先
生が引率して式に参加。帰りにはおまんじ
ゅうをもらったそうです。

話は前後しますが、これはなんと大正12年の
学校日誌。これも本物。和綴じで丁寧に保存し
ていました。「西砂川小學校」です。

9月1日の関東大震災で『東京・横浜・横須賀は
全滅』と書いてあり、情報の混乱がうかがえます。
東京と神奈川に「戒厳令」が出るかもと書いてあ
ります。1日は強風で火事の被害も大きかったの
でしょう。ところで、なんでこんなに神奈川のこ
とも気にするのか考えました。三多摩は明治4年
から、明治26年までは、神奈川県だったのでし
たね。だから気になりますね。気温は摂氏でいう
と28度。少し涼しい9月でした。

9月3日の3校時、「前庭」に児童を集合
させ、校長先生から大事な訓話がありました。
①日用品の節約 ②衛生に注意 ③沈着冷静
に判断し※行動せよ。(※達筆すぎて読めま
せん。たぶん行動ではないかと)
危機の種類も違うし、一緒にはできないかも
しれませんが、今年の感染病に対する、校長
先生の始業式・終業式などのお話に、共通す
るものがあり、驚きました。
「判断して行動せよ」です!

もうちょっとおつきあいください。
これも大正時代の頃の夜学部の台帳です。

卒業した若者が、農閑期の冬に学校で学んだのです。
小安校長先生をはじめ、この年は7人の先生方が、
ご指導をされていました。

大正4年度はやはり農閑期の12月11日から
翌2月28日まで。夜の7時から9時まで(!)
月~土曜まで!修身・国語(読解でしょうか)・
作文・筆算・珠算。その後、裁縫なども入り、
あの写真になるのでしょう。TVもラジオもない
大正時代。地域の青年団の熱意と、それに応える
指導者の熱意を感じます。しかし昔の記録は、筆
で書いてあり、達筆です。なんとか丁寧に保存し
て、未来に語り継がれるといいですね。
出典:創立百周年記念誌「あしっこ」
   学校日誌(大正12・昭和12・20年度)

ニワトリ久々の主役!


いやあ暑い。五日市街道沿いに大木が
多いのは防砂林・防風林の役割をして
いたからでしたね。

見事な樹が並ぶ街道ですね。右には今も
消防団の火の見もありますね。

この道路の下には、砂川分水が流れています。
この分水は地域の生活や農業を支えていたと
いうことでした。途中見えるところもあります。

久しぶりです。さすがに今日は日陰にいます。
主事さん方や管理員さん方がえさをあげてく
れていたので元気です。

地域の方に教えていただきました。ニワトリは
水浴びはきらいだけど、砂浴びは大好きなのだ
そうです。知らなかったよ。穴を増やしました。

掘ること30分。終わったら次々と出てきま
したね。

これも、地域の方に教わりました。ニワトリは、
小石や砂を食べるそうです。
①歯がないのでおなかの中でえさをすりつぶす。
②土の中の菌を取り込むことで体が丈夫になる
 らしい。
えさをよーく見ると、小さい小石が入っている
こともあります。君たちのおかげで、いろいろ
学びますねえ。

おお、浴びてる浴びてる。土も食べてる
食べてる。また今度穴を深くしてあげましょう。

各教室この時期に片付けをしています。
図工準備室です。今入れ替え中です。
広くなってますね。校舎の様子もまた
来週になったら見回ります。

以前載せた写真です。緑のおばさん(交通整理の
主事さん)の後ろが五日市街道に今もある石の門。
「砂川町立西砂川小学校」ですので昭和27年に
体育の研究発表をしたのです。ここに文具屋さん
が、昔はあったと思います。

その頃の運動会。本当に校庭の真ん中に
大きな木がありました。子どもたちの体
操着や女性の先生の姿も含めて、これま
た貴重な写真です。

この頃の航空写真。南門の方から撮った航空
写真。これも一回載せましたがもう一度。
「西」の人文字の左下あたりに大きな木があ
るように思いますが・・・。まわりは畑に囲
まれていますね。プールや体育館はまだでき
ていません。九小の昔調べも、いよいよ戦争
の時代に続きます。