日誌

学校のできごと

いよいよ、2学期です!


さあ、明日から2学期です。校外学習や
歩行訓練なども三密に気をつけながら、
計画中だよ!

学習だって、どんどんすすむよ!
いろいろな活動も、気をつけなが
ら行いますよ!

原発事故で全員避難命令の出た、福島県の
双葉町。ある日突然登校できなくなった学
校に、立ち入りできるようになった当時の
児童・生徒が9年半ぶりに学校を訪れまし
た。友達との再会、当時の子どもたちは立
派な成人に。時が止まったままの学校。掲
示物なども9年前のもままだそうです。
学校ってたくさんの思い出が、共有してい
るところ。九小も2学期の思い出を作って
いきましょう。

夏休み最後のおまけ
世田谷区の用賀に「用が」あって出かけました。
(猛暑なのに、寒い)あれ、通りの名前がサザ
エさん通りって・・?

通りには長谷川町子美術館。今日は「用が」
あって入れませんでしたが、親子連れが多か
ったです。だからサザエさん通りなのか・・・。

隣の桜新町駅前にはサザエさん一家の
銅像が、サザエさん通り沿いに。今年は
長谷川町子さん生誕100年だそうです。

この銅像ができたときに、波平さんの
髪の毛をぬくいたずらが、ありましたね。
今日は、ちゃんと生えてます。立川だっ
て、ファーレや、銅像、文学碑などが、
ありますね。銅像などの美術作品などが、
ある町ってすてきだなあ。

今でも腹が立つ、路線バスの旅。徳光一行が行くのを
やめた国立極地研究所の、そばに国立国語研究所とい
うのがあります。いつもこの時期、子ども向けのイベ
ントなどを開催しています。今年は動画を配信してく
れています。子どもには難しいのもあるのですが、
ニホンゴ探検2020「めざせ!辞書引きの達人!」
というのが、辞書をよく使う国語好きの子どもたちに
はぴったりの動画があるので紹介します。
徳光さんよ、立川には絶対に来させないぜ-!
(そんな権力は私には無いが)

動画は
https://www.youtube.com/watch?v=Tfc-wCtaGnI&feature=youtu.be
ホームページは
https://kotobaken.jp/events/news-200821-01/#play-movie

天候に注意


1学期最後の代表委員会による、あいさつ
運動でした。2学期も元気にあいさつをし
ていきましょう!

生活指導主任が、先生方、職員の方に配りました。
なんとこの水は、5年間保存がきくそうです!

見る度に成長する、くわのみ学級の花壇。
この花で、何か色の授業をするようです。
楽しみですね。

ラジオで、「今日は昨日より涼しくて35度の
予想です。」なんて言っているので、苦笑して
しまいました。しかも今夜と明日の夜は場所に
より大雨だそうです。気をつけてくださいね。

おまけ。夏休みは東京から出ません
でした。これは2ヶ月くらい前の、
町田の版画の美術館。私の動くとお
りに影も動きます。これ版画作品な
のだそうです!楽しかったです。

夢ファーム(学校農園)の準備


今日は、学校農園の準備。既に農園担当の
先生方が、トラクターなどを使って(!)
ここまで耕してくれました。

暑さにやられないよう、作業時間を朝一番に
変えました。休みを入れながらの作業です。

各学年自分のうねが終わると、他のところを
手伝います。そのたびに
「やられたらやり返す、倍返しだ!」
「施されたら、施し返す、恩返しだ!」
と大声で言う先生がいます。みんなあのドラマ
を見ているのですね。

だんだん、手際が良くなって、早くなり
ました。畝もだいたい真っ直ぐです。み
んな体力ありますね。でも気をつけて。

このあと2時間ほどで作業は終わり。
先生方は作業しながら「ダイコンにしようか」
等と話していました。2学期も収穫が楽しみ
ですね。いよいよ週明けは、始業式。この後
の職員室の様子を見ると見るとみんな笑みが
こぼれています。学校は子どもがいてなんぼ
のものです。週明け待ってます!

納涼クイズ


夏休み最後のクイズ。HPをよく見てくださった
方には簡単な問題です。これは何でしょう。

ヒント。何本も集まります。


答え 離れてみるとこうなります。以前に担当が
   紹介してくれた、くわのみ学級の作品です。

すごい根気ですよね。今のところ3作品が
1階渡り廊下に飾ってあります。2学期は
さらに完成が増えるのでしょう。楽しみ。

夏休みもあと一日


残暑と言っていいのでしょうか。日射しが強く
100周年の記念の碑も反射がピカピカですご
いです。

まだ納品されたばかりです。児童の昇降口に
おいて、泥を校舎内に入れないようにします。
ピカピカです。

そして、この夏の主事さんの力作です。
10人転入生が来ても大丈夫。手製の
下駄箱です。設置がまたかっこいいの
です。

今日は窓を開けたら少し風が入った
のでよかったです。青空がこれまた
夏真っ盛り!

太陽が動くと、少しずつ日陰を求めて
移動中。さすがに動きは少ないです。
水もよく飲みます。

カブトムシハウスです。一番暑い
昼間は、土の中で眠っています。
もうすぐ出てきて活動開始です。

都市化に合わせて


昭和42年6月17日。分校は現在の地に移転し
「西砂小学校」として独立しました。
右の写真は移転作業です。先生も子どもも、地域
の方も総出での作業になったそうです。でも、う
れしかったでしょうね。6学級でスタートしまし
た。西砂小学校は、今では市内でも、大きな学校
の一つです。

昭和38年(1963年)砂川町と立川市が
合併しました。校名が立川市立砂川第二小学校
になりました。2年後将来の砂川町の発展に合
わせて、旧市内からの通し番号を使い、昭和
40年(1965年)いよいよ「立川市立第九
小学校」になりました。おお、今年はこの校名
になってもう、55年目なのですね。

都市化の波は、砂川地区も例外ではなく、
児童数は1200名近く!校舎を牽引するので
校庭の真ん中に残っていた、桜の大木もついに
切られました。教室が足りないのでなんと、
午前2回・午後1回の3部制授業だったのです!

松中小学校や大山小学校、柏小学校ができて、
児童数は一時、半分近くに減ります。しかし、
新しい駅が(武蔵砂川駅)ができるというこ
とで再び地域が開発されて、児童数増加です。

おお、朝会の様子。大勢並んでいます!学校も次々
に整備されて昭和42年に北校舎と、翌43年に南
校舎が完成(防音校舎)!奥に見えますが、昭和
44年に体育館完成。同じく完全給食開始。と、激
動の30年間は続きました。

昭和54年(1979年)プレハブ2教室を増加。
場所は、校庭側ですよね。学級園があったところ
だそうです。29学級もあったのですね。
55年には、30学級1172名となり(5組まで
あったのかあ)ました。この年創立100周年。
昭和55年(1980年)上砂川小学校が開校し、
クラス数は18学級となりました。
この年上砂学童、そして昭和59年(1984年)
くわのみ学級ができました。時代は平成になります。
(以下続きは、冬休みに)
和太鼓・夢ファーム・みそ造り・あしっ子ガーデン
はこれからです。(ニワトリ小屋はいつからでしょう?)

あと4日!


学童はお昼寝中。ここを通る時は静かに。
2学期も始まるので、そろそろお昼寝は
終わりですね。

体育館の空調設備。今日4つある機械を試運転。
正式な本格運転は9月です。

管理人さんに、スイッチのオンとオフを
お願いすることも多いので、説明をしっ
かり聞いてもらいました。

終業式の日に書いた、くわのみ学級の
8月24日の予定です。お掃除もよろ
しくね。待ってます!

保健委員や学校で用意したポスター。
来週からも気を引き締めしょう。

イベントは蜜を避けるために中止ですが、
『秋の交通安全運動』そのものは、行い
ます。道路が空いている分、車はスピード
をだすので、全国的に今年は、交通事故が
多いそうです。気をつけるんだZ!

もうすぐ2学期


毎日少しずつ、2学期のドリルやテストが
届いてますよ。うふふ・・・。

この学級目標は、縦読みで「よねんせい」
しかも文字は、一人一つと見ました。
いいですねえ。2学期も世界一仲良くね!

くわのみ学級のこのクラスは「元気でなかの
よいクラス」が学級目標。そして一人ひとり
の目標が。
「きれいなことばつかう」
「あいての目をみて話を聞く」
「ごめんなさいを気をつけていう」
など、いいですね。2学期も頼むね。

7月になって、俳句を作ったクラスも
多かったです。うまいなあ。

そうそう、この旗は今も使っている運動会の
優勝旗。昭和46年の卒業生の贈り物です。
反対側を見ると・・・・。

すごい、右から読めるようになっています。
今から約50年前の贈り物ですが、色鮮や
かですね。昭和38年・39年の、二年間
だけ立川市立砂川第二小学校という名前で
したが、その名前の資料・旗などは、今の
ところ見付かってません。

校歌・校章


昭和33年に校歌が作られました。62年前!
翌年の開校60周年のために作られました。

そうです、3番の最後は「ああ西砂川小学校」
でした。今は「立川第九(だいく)小学校」
です。とても歌いやすい校歌ですよね。

そしてこの校旗、今は「九小」校旗が
校長室にこのように飾ってあります。
当時は「西砂川」と書かれた校旗。
校旗も校歌も33年に作られ、翌年の
60周年記念式典でお披露目されたの
ですね。

そして、すごい!昭和35年にはプールがもうでき
たのです!しかも右奥にある小プールが、当時とし
ては珍しいことでした!校舎の様子と相まって、こ
れまた貴重な写真ですね。

記念誌によると、小プールのおかげで低学年から
水に親しめて、泳ぎの上達が早く、市内の先生方
の見学も多かったとのことです。ちなみに分校の
子どもたちは、バスを利用して泳ぎにきたのです。
往復は大変だったけれど、水泳の授業がある日を
楽しみにしていました、と記述されてます。
少しずつ、復興し前進している九小の様子が、
とてもうれしいです。
(明日に続きますが、今週で休止。冬休みに続き
をやるかもしれません。校長先生の一言アドバイ
スをいただき始めた九小探検。副校長の計画性の
なさをお許しください。でも調べれば調べるほど、
すごいなと思います。よくぞ資料が残っています
よね。)

激動の30年


昭和20年から40年は激動の30年間です。
6・3制の始まった昭和22年、本校は、東
京都西多摩郡西砂川小学校となりました。
これは、学校の校章。当時桑の苗を育てるの
が盛んだったこともあり、桑の葉をデザイン
したもの。いつ図案化されたか、誰の図案か
は不明。今は文字だけ「九小」になりました。
この時書き換えた「九小」の文字のデザインは
石上 泰三先生です。

この校章を入れていた、飾り枠が壊れて
しまい、時間をかけて主事さんに直して
もらっています。直したらきっと2年後
にお披露目ですね!色のおち具合が、年
代を感じさせる、大事な資料です。

これは、昭和20年代に作られた、運動会の優勝旗
です。年代物なのですが色鮮やかです。今年の運動
会でも、本部のところに飾って、みんなの姿を見て
もらいましょう。それからこの頃には、学校名が、
「北多摩郡砂川町立西砂川小学校」になっています。
世の中の様々な変化の一端を、うかがい知ることが
できます。
(中途半端ですが、この項は明日に続く。)