日誌

学校のできごと

雪は解けました。


玉川上水は、ほぼ真っ直ぐなので、こういう
時は絵になりますね。写真を撮っている人も結
構いました。インスタ映えってヤツですね。
武蔵砂川駅付近で自転車に乗って倒れた大人が
2人。それを助けようとして、自分もスベり転
びそうになった、コントみたいな人は副校長。
雪の日に革靴はだめでした。

正門近くで、凍った地面の感触を楽しんでいる、
学童に登校の男の子。スベらないように気を付
けて欲しいのですが、こういう風にいろんなこ
とに興味をもつことって大事だと思います。

またこのネタですみません。寒さには強いとは言え
昨日はさすがに寒かったと思われるニワトリたち。
ちゃんと5羽元気でした。なぜ寒い庭で食べさせて
いるかと言うと・・・。

掃除をしているからで、さすがに朝の寒いときに
水がかかっては危険ですからね。このあと、午前
中は、会議をいくつか行いました。午後は事務仕事
や、校外学習の下見に行った学年も。学年だより
を作っている学年も。火曜日はお便りが多くなる
かもしれません。

今日はお昼が、九小ランチ。また職員特製の
豚丼です。

美味しゅうございました。そしてなんと、
火曜日からすぐに、給食です!!
ナプキンなどの準備をよろしくお願いします。

一部の教室には、用務主事さんがきれいな
カーテンを取り付けてくれました。

もうその頃には、雪はなくなりました。こうやって
見ると、きれいな芝生です。緑のところは、赤ちゃん
のように繊細な芝生です。

職員室では、3学期の学習や行事について真剣に話
し合い。かと思うと、休憩時にはにこにこしながら
「今年は3連休が多いんですよ」
とうれしい情報をくれる方も。職員室の会話トレン
ド7位くらいに、なぜか「電動自転車」のワードが!
この3連休中にヒミツが分かります!!

雪でした!


1月も早くも6日。
キラリの廊下も早くもたこあげです。

午後から予想以上に降りました。
雪が音を吸収するのか、とても静か。

さすがの金次郎さんもこれでは寒かろうと
かさこじぞうのお爺さんのように雪を払っ
てあげても、すぐに積もります。

雪が降っているのに、めんどりたちは
えさを食べています。くいしんぼ。

おんどりどもは、体を寄せ合って
じっと寒さに耐えていると言うのに・・・。

庭にあったえさ箱を、屋根の下に持ってきて
えさを足したら、みんなで食べ合いました。

新家橋の玉川上水。きれいです。でもこれ、
撮ったのは5時半過ぎ。真っ暗なはずなのに
雪明かりで明るいですね。

西武線。雪に強い頼もしい。
とはいえフォームは・・・。
明日の朝は、凍った地面に気を付けましょう。
ゆっくりペンギン歩きで・・・。

【おまけ】
本日デビューするはずだった私の宝物は
雪のため延期。明日もダメでしょう。涙

人より鳥が多い学校


正門です。今年もよろしくお願いします。


南門です。とても寒かったけれど、青い
空ですね。

正門横の蝋梅(ロウバイ)は、もうすぐ黄色い
花が咲きそうですよ。

冬の寒さにも耐えて、伸びている芝生です。


学童保育所以外には、子どもたちがい
ないのをいいことに、校庭にはたくさ
んのカラスが飛んでいました!

くわのみ環境境整備員会が、うえてくれた球根は
もうつぼみが出そうです。

人がいないと思って、大胆なスズメたちです。
ここはにわとり小屋なんだけどな! 

茶色のめんどりがどんどん大きくなって、
リーダーのクロコも圧倒されることがあ
るくらいです。ムクドリなど他の鳥もい
て、人間より多い、バードウオッチング
学校のようです。

富士山も真っ白です。冬の晴れた日は教室から
こんな姿が見られますね。

北校舎裏にある①小安傳校長先生の碑。
②2040年に開けられる、立川市の
タイムカプセル。今ここは目立たない
けれど、かつてはこの付近が正門でした。

続々と、ドリルやカラーテストが届い
ています。ヒヒヒ・・・。

クラスごとにまとめてあるこの紙は・・・・。


雲花紙(雲華紙)・・・うんがし。ふすまの裏によく
貼ってある丈夫な紙。もちろんこれは襖ではなく、書
き初めの作品を貼りますね。またこれが、習字や硬筆
の黒い字があうんだよなあ。

【おまけ】
こ、これは、もしや・・・・。分かる人には分かる、
私事ですが、3年間の七夕やサンタに捧げた長編物
語に終止符を打つときが来たようです・・・(涙)。
続く(かな)?

和太鼓クラブ・終わりの言葉 


和太鼓クラブの発表です。ポーズが決まって
いますねえ。

和太鼓クラブの、レパートリーの中から今日は
秩父屋台囃子を行います。
全員が座ってるのは、このお囃子は本来屋台で座って
演奏するからです。

太鼓の人達の格好いいたたき方。でも腹筋や背筋をつか
いますね。大太鼓と締太鼓の見事な、演奏です。

【和太鼓クラブについて】
和太鼓クラブは130周年の時に、和太鼓を演奏した
ことがきっかけで始まりました。ですから来年度20年
になりますね。以来週三日朝練をして、地域のお祭りや
学校の演奏を頑張っています。ご時世でなかなかお祭り
等に出られないのですが、めげずに一生懸命練習してい
ます。写真は10年くらい前の、お祭りです。
たぶん、この写真も秩父屋台囃子ではないでしょうか。
九小と言えば、和太鼓・みそ・花や野菜お米・にわとり
(最後はうそ)で有名です。150周年でも、ぜひ和太鼓
やお味噌などの、学校の特色を出せるといいですね。

【終わりの言葉・6年生代表(一部略)】
「学習発表会はどうでしたか?」(場内から
「楽しかった」「もっと観たい」などの声)
5・6年生は最後の学習発表会です。思い出に
残る学習発表会にしようと頑張り、セリフを大
きな声で練習しました。

うまくいった、いかなかったではなく、頑張っ
たことが大事だと思います。これからも協力す
ることを大事にしたいです。卒業まで4ヶ月
(当時)。残った時間を大事にして頑張ります。
みなさんも頑張りましょう。
(体育館はわれんばかりの拍手。心に残る
 終わりでした。)

これが、西砂川尋常高等小学校。今より校舎も
校庭も狭いですが、お祭りのにぎわいの式典だ
ったとのこと。3教室が尋常・1教室が高等。
ちなみに開校式の11月27日が開校記念日に
なりました。さらにこの年から初代校長先生の
小安 傳先生が着任されました。それまでは、
校長先生はいらっしゃらなかったのです。

昭和34年に、6年生の発表にあったように、
校章ができました。砂川ゆかりのくわの葉に
当時の校名「西砂川」の文字を図案化したも
のです。「くわのみ学級」の名前もこのくわ
に由来しています。

校歌はその前年、昭和33年、完成しました。
作詞:古関吉雄先生(朝ドラ「エール」の主
    人公だった古関裕而先生の従兄弟。)
作曲:岡本敏明先生 の有名なお二人。
当時の砂川町の補助金では足りず、PTAのお力
で廃品回収などを行い完成した校歌です。
音楽専科の先生が、音楽室にあった楽譜を見付
けたら、「二部合唱」になっていたそうです。
大発見ですね!またよく楽譜も残ってました。
今回、6年生が最後に歌ったのも、この二部合
唱の校歌でした。(美しい!)卒業式では、さ
らに磨きをかけて、校歌を歌ってくれることで
しょう!
(三番の最後が、今と違います。今は、立川第
九(く)小学校 です。)

本番10日前の様子。4年生「九小の壁」、
このあとどんどん変更されていきましたね。

特に高学年は、自分たちでも工夫して
演じていました。
とっくにお気づきかと思いますが、今回の台本
は全て九小の先生のオリジナル。また、照明・
音響・大道具・など、教職員一丸となって行い
ました。もちろん主役は一生懸命頑張った、
子どもたちです!!
無事開催できて、本当に良かったです!

プロジェクト9 (6年生)


いよいよ6年生。
「プロジェクト9」~九小ができるまで~
です。写真がピンぼけのもありますが、
新年に免じてご容赦ください。

ああ、ねむいなあ、今日も学校かー。
おいおい、遅刻するよ-!

おじいさんとおばあさんが登場。どうやら
九小の、砂川地域の大先輩のようです。
「なんで九小がここにあるのか教えてやろう。」
お二人が呪文を唱えると、一気に江戸時代へ!!

江戸時代は、寺子屋がありました。読み・書き
などを教えていました。おかげで当時の日本の
識字率(字が読み書きできる)は、10人中な
んと、8から9人。イギリスでさえ、当時10
人中2~3人だったので、外国の人はびっくり
したそうです。寺子屋のおかげですね。


明治時代の砂川地区です。なんと神奈川県砂川村。
一時期神奈川県に入っていたのですね。明治5年に
「学制」が発布されて、この地にも学校を作る動き
が・・・。ところで、

当時この砂川の地で、大切に育てられていた
昆虫は何でしょう。
①カブトムシ ②チョウ ③ガ(蛾)
正解は、③。この地域はえさの桑畑を作りカイコ
を育てて、糸を作っていました。今でも九小の、
校章にくわの葉があるのは、このためです。

いくら「学制」と言われても、子どもたちは
大事な畑仕事などのお手伝いもしなくてはい
けません。農民たちは反対の人が多い。
「えー、学校に行かないで、仕事をしなくて
 は、いけないんだー。」
左奥の子どもたち、作戦を考えます。

学校を作る作らないで、大もめです。
(この演技も迫力がありましたね)
校舎を建てる資金も授業料もみんなで
出し合うのですから・・・。
でも子どもたちの説得で、学校はできる
ことになりました。流泉寺の境内の中に
西砂川学校という名前で始まりました。

やがて子どもたちの数が増えて狭くなり、
今の地に学校は移ります。何年前でしょう?
正解は①121年前!

西砂川尋常高等小学校と改名。尋常(普通)の
教室が3教室。高等の教室が1教室でした。
さて、1900年(明治33年)11月27日に
新校舎完成の式典が行われました。

その式典で行われたのはどれでしょう「。
①東京府知事が来校した。(小池都知事が来校
 するようなことですよ)
②花火が打ち上げられた。(明治33年ですよ)
③お店が並んだ。(学校のそばの農道にですよ)
 正解は・・・なんと全部!祭りのように盛り
あがったのだそうです。

へえ、昔の人の思いが詰まっている学校
なんだね。そろそろ2021年に戻ろう!

「あれー、おじいさんやおばあさんは?」
「何を言っているの、そんな人はいないよ。」
どうやら、おじいさんおばあさん、みんな夢の
中の出来事だったのでしょうか。
「チャイムが鳴ったよ!今日の授業は何だっけ?」
「150周年に向けての、校歌の練習だよ。」

そして、きれいな歌声で、6年生の校歌の合唱です。
なんと『二部合唱』の見事なハーモニーです。この
お話はもちろん架空のお話ですが、もし当時の先輩
方が、この学習発表会を見たら、びっくりしてくれ
ることでしょう。

(和太鼓クラブ・終わりの言葉・大事なおまけは、
 次回に続く。)