日誌

学校のできごと

大正時代


先ほどは、立川を愛するあまり取り乱して
すみません。自分でもびっくりの立川LOVE
です。
今週は閉庁日なので図書室の開館はありませ
ん。本のしょうかいカードは、ずいぶん集ま
ったそうです。

1学期は体育の前後の手洗いうがい、
マスクをつけるつけないの指導を、
徹底しました。現時点では運動会の
練習が予定されています。2学期も
気をつけます。

大正時代の貴重な写真。服装や樹木の
様子から冬の朝礼でしょうか。校舎も
増え児童の人数も増えていたことが分
かります。男性・女性の先生の正装や
子どもたちの校服の様子から、始業式
かもしれませんね。貴重な写真です。

当時先生方は非常に厳しく、その反面
よくかわいがってくれたそうです。本校
分校合わせて9人で教えていたそうです。
あるとき先生に叱られたことを理由に、
三番組の金比羅山に6年生全員が立てこ
もったなんて事もあったようです。

これも大正時代の貴重な写真ですね。
体操か軍事訓練(大正5年まであった)
の様子でしょう。男女の服を見ると、
時代を感じます。低学年は3時間授業。
3年になると週二回ぐらいお弁当で午
後まで授業。5年以上は5時間か6時間。
土曜日は午前中で終わりました。
まわりに高い建物が全くないことが分か
りますね。まさに畑の真ん中の学校でした。
(出典:創立百周年記念誌「あしっこ」)

来週はずっと35度前後。こまめに水を
とってください。日中はできるだけ外出
を控えましょう。

怒りのおまけ!


へえー夕方から路線バス寄り道旅。
国分寺から立川!しかも傑作選!
これは見なくては!

国分寺~府中~立川か!しかもゴール
は十小学区の南極・北極科学館。
九小の近くではありませんか!楽しみ!

府中のビール工場で酔っ払い、バスで寝てしまう
徳光氏。あげくに急に「女子大に行きたい」と行く
先変更。ここから番組の様子がおかしくなります。

行く先は予定外の国立の某女子体育大学へ。
この方は昨年九小でオリパラの特別授業をし
てくれた、ソフトボール金メダリストの佐藤
先生ではありませんか!

その後も、ラクロス部の女子生徒と何が
ズームインだ!立川まであと少しの場
所にあるこの大学ですが・・・。

とうとう時間オーバーで、南極・北極
科学館に行けず。挙げ句の果て新体操部の
演技を見て「『南極・北極』に行くより全
然よかった」と暴言。

そこまでなら我慢しますが、
「もういいよ、立川は」
そしてスタッフのアハハと言う笑い声!
絶対に来るんじゃねえぞ!

そしていつの間にか、「立川」が「国立」
に変わっていました。なんて低俗な番組!
でも視聴率はいいらしい。馬鹿にするにも
程があります。もちろん台本のあるやらせ
番組なのでしょうが、佐藤先生以外はくだ
らない番組でした。時間を返せ!!

床の光


上砂公園。大山小学校や児童館に用事が
あるときここを通ります。すると、子ど
もたちが、「こんにちわ!」と元気にあ
いさつをしてくれます。この日もそうで
した。

分散登校の頃は、子どもたちの掃除
時間はとれず、教職員で行いました。
7月の大掃除では、その分も含めて
しっかり掃除をしてくれました。
子どもたちの倍返しだ!(またですか)

その後ワックスを塗って、ピカピカの
教室です。2学期開始を待っています!

明治20年(1887)に西砂川分校が開校
しました。最初は1年生から4年生までが学
びました。行事などはなく、式の時は本校ま
で歩いて行き、おまんじゅうなどをいただい
たそうです。その後分校も大きくなり、昭和
の写真を見ると運動会など、学校行事も分校
で開催したようです。分校は長く続き、昭和
42(1967)年に西砂小学校として独立
しました。

明治も後半になると、七つあった村の青年団が
統一されました。その頃の西砂川小学校(後の
九小)は、今で言う村の文化センター、情報セ
ンターの役割もしていました。農産物品評会、
青年団の夜学校。運動会にも地域の大人も参加
した大運動会だったとのこと。
写真は明治41年、夜学校の青年団の様子です。
この頃の夜学校の記録もほんの一部ですが金庫
に残っています。
(出典:創立百周年記念誌「あしっこ」)

明治の第九小学校(記念誌「あしっこ」から)


明治維新後江戸から東京に変わった頃
砂川村の流泉寺の本堂を学びの場として
読み書きそろばんの村塾ができました。
そして、明治5年学制発布を受けて、
「西砂川学校」という名で開校しました。
(創立はこの年から数えます。今年創立
 148年目になります。)

流泉寺の境内にあった学び舎の図です。
右のおおけやきの木に、3人くらい入
れる洞穴があって、よく遊んだそうです。

明治33年に、今の二番の地に西砂川
尋常小学校ができました。初代校長の
小安傅先生が、村内の寺子屋や学校を
一つにすることで、村の教育への意識
を一つにするという事も考えられてい
たそうです。この図は復元図ですが、
金庫の中に大切にしまってあります。

当時の校舎です。よくぞ写真がありまし
たね!開校式は盛大な華やかだったそう
です。開校記念日というとこの明治33年
11月27日になります。(今年で開校
121年目)第二回(!)パリ五輪や、都電
ができた年。

明治43年から、当時ではめずらしい校服
を小安校長先生は採用されました。村の中
には暮らし向きが厳しい家もあり、安くて
丈夫な木綿で染めたものなのは、そのため
です。誰もが通える学校を目指した当時の
気概を感じます。
(出典 創立百周年記念誌「あしっこ」より)

先週の写真から


先週までこんな雨が続きました。この
時はまだ26度くらいだったので、そ
の後の猛暑で体調を崩さないようお気
をつけくださいね。高校野球などのス
ポーツも、気をつけて健闘してますね。

学年によって、宿題以外に自主勉強を
進めているところもあります。内容は
自由なので、日記や漢字の成り立ち、
算数の間違えたところの直しなど、丁
寧に工夫して行ってます。

右が長年お世話になった学校のfaxです。
左が、新しくなったfaxです。ネット時
代でも、学校ではfaxはよく使われます。
熱中症警戒の予報は、毎朝市教委から、
送られてきます。faxだと見逃すことが
ないからです。誰かが必ず気付きます。

1年生の授業。今月から始まった、
土曜授業の一場面です。好きなもの、
1年生のすきなものは楽しいですね。
ウルトラマンや仮面ライダーがまさ
かこの世代まで受け継がれるとは、
すごいですね。仮面ライダーごっこ
禁止令だった世代はびっくりです。
ところで、はなまるらいおんって、
なんでしょう?