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学校のできごと
子どものいない校舎
第二音楽室で静かに出番を待つ、和太
鼓です。くわのみ学級で、数回授業で
たたきました。2学期は現時点ではク
ラブ活動も始める予定です。和太鼓ク
ラブも復活です!あと少し待っててね!
隣の第一音楽室のマグネット。大きな
声で歌えなかったけれど、こんな用語
を授業で使ってがんばったのですねえ。
「縦と横」って何でしょう。中島みゆ
きの「糸」を思い出しますね。協力っ
て事かな?右下の「あみこみ」はさら
になぞ。新しく使った言葉のようです
ね。2学期に教えてもらいましょう。
くわのみ学級で、7月の気温を調べた組が
あります。うーん、7月は曇りや雨が多く
て涼しかったのにねえ。野菜も値上がりし
て、困っていたくらいでした。今月はこの
表に書けないくらいの高温です。あつい。
みんなが見えるところに図工室の
約束です。安全のことなど態度面
が大事なのですね。多少苦手でも
工夫したり最後まで粘り強く取り
組むことが大事なんですね。少し
図工が苦手でも、がんばれば手が
届く目標ではありませんか!
大正の終わりまで
今年も学校の近くの畑で、オクラのきれいな
花と、形のよい実が見られました。今日は、
36度。明日もです。無理に外出しないで
くださいね。
ねこも水を見つけては、ぺろぺろです。
我々人間はもっとこまめに飲みましょう。
前に載せた写真です。麦まきが終わると、
卒業生が学校へ行き、学んだ夜学が始ま
ります。農繁期が終わり、短い期間です
が、非常に熱心だったそうです。
先生も大変だったでしょうが、熱意は写
真から伝わりますね。
大正時代の分校は、児童数が増加しました。
1年生から4年生まで分校で学び、5年生
から、少し遠い本校へ通いました。運動会
は、本校へ行き遠足も一緒だったそうです。
5年生になると毎日一里(4キロ)も通っ
たなんてすごいです。でもこの写真、子ど
もでないような・・・。何の写真しょうね。
大正12年9月1日11時58分に、関東
大震災がありました。遠くの空が赤い煙で
覆われていたそうです。
この日は始業式で家に着いた頃で、大変だっ
たようです。幸い大けがや倒壊はなかった
ようですが、あることないこと流言(噂・
デマ)がすごかったようです。九小の学校
日誌にも「横浜方面が壊滅」などと書いて
あります。もちろんデマです。
3日に臨時の全校朝礼が行われて、心構え
や流言を信じないようになどと、校長先生
が訓示をされたと記録されています。
(出典 創立百周年記念誌「あしっこ」)
はいからさんが通る
暑い!ニュースでも連日警報が報じられて
います。散歩してても生き生きしてるのは
ひまわりだけですよ。明日はなんと37度
の予想。体温より高くなります!気をつけ
てくださいね。
3年前に未来センターで行っていた環境
フェアでいただいたアサガオのたね。
3代目になって突然こんなきれいな模様
が・・・。こんなことあるの?
立川市の図書館は60分以内のようです
が、近所の図書館は30分以内です。し
かも今日は休館日でした。(まぬけです)
でもこのキャッチコピーが格好いいです!
ちなみにこのキャラクターはカワセミが
モデル。名前は募集中。知識と情報の山
に登りましょう。
子どもたちに人気のおしり探偵や、
サバイバルシリーズもアニメ化だ
そうですね。どちらも九小図書館
でもいつも貸し出し中の人気です。
おしりと言えば・・・。
平積みでうれてましたねえ。子どもたち
はもちろん、介護施設でも大人気とか。
明るい問題ばかりですものね。最初に
考えた人はすごいです。
大正時代の遠足は、1年生は金比羅山か
砂川さんの田んぼ。2年生は多摩川。歩
いて行ったのかーすごい。3・4年生は
拝島大師か村山貯水池。5・6年生は、
滝山城跡か国分寺城跡だったそうです。
遠足と言うより歩行訓練のようですね。
写真の通り一クラス60名を超えてしま
ったので、校舎を増築したそうです。
大正9年の第11回尋常科卒業式の写真。
だとしたら、真ん中にいらっしゃるのは
唯一肖像が不明の鈴木光平校長先生でい
らっしゃるかもしれません。(校長室に
歴代の校長先生の肖像画やお写真が飾ら
れているのですが、ただひとり2代目の、
鈴木先生が不明なのです。しかも任期が
大正9年12月~大正10年4月!!)
当時の男性の先生は、坊主刈りか、当時流
行のオールバック。女性の先生はやはり流
行のひさしの大きい「はいから巻き」とい
う髪でした。「はいからさんが通る」って
アニメが昭和にありましたが、この写真の
ような格好でした。
(出典:創立百周年記念誌「あしっこ」)
大正時代
先ほどは、立川を愛するあまり取り乱して
すみません。自分でもびっくりの立川LOVE
です。
今週は閉庁日なので図書室の開館はありませ
ん。本のしょうかいカードは、ずいぶん集ま
ったそうです。
1学期は体育の前後の手洗いうがい、
マスクをつけるつけないの指導を、
徹底しました。現時点では運動会の
練習が予定されています。2学期も
気をつけます。
大正時代の貴重な写真。服装や樹木の
様子から冬の朝礼でしょうか。校舎も
増え児童の人数も増えていたことが分
かります。男性・女性の先生の正装や
子どもたちの校服の様子から、始業式
かもしれませんね。貴重な写真です。
当時先生方は非常に厳しく、その反面
よくかわいがってくれたそうです。本校
分校合わせて9人で教えていたそうです。
あるとき先生に叱られたことを理由に、
三番組の金比羅山に6年生全員が立てこ
もったなんて事もあったようです。
これも大正時代の貴重な写真ですね。
体操か軍事訓練(大正5年まであった)
の様子でしょう。男女の服を見ると、
時代を感じます。低学年は3時間授業。
3年になると週二回ぐらいお弁当で午
後まで授業。5年以上は5時間か6時間。
土曜日は午前中で終わりました。
まわりに高い建物が全くないことが分か
りますね。まさに畑の真ん中の学校でした。
(出典:創立百周年記念誌「あしっこ」)
来週はずっと35度前後。こまめに水を
とってください。日中はできるだけ外出
を控えましょう。
怒りのおまけ!
へえー夕方から路線バス寄り道旅。
国分寺から立川!しかも傑作選!
これは見なくては!
国分寺~府中~立川か!しかもゴール
は十小学区の南極・北極科学館。
九小の近くではありませんか!楽しみ!
府中のビール工場で酔っ払い、バスで寝てしまう
徳光氏。あげくに急に「女子大に行きたい」と行く
先変更。ここから番組の様子がおかしくなります。
行く先は予定外の国立の某女子体育大学へ。
この方は昨年九小でオリパラの特別授業をし
てくれた、ソフトボール金メダリストの佐藤
先生ではありませんか!
その後も、ラクロス部の女子生徒と何が
ズームインだ!立川まであと少しの場
所にあるこの大学ですが・・・。
とうとう時間オーバーで、南極・北極
科学館に行けず。挙げ句の果て新体操部の
演技を見て「『南極・北極』に行くより全
然よかった」と暴言。
そこまでなら我慢しますが、
「もういいよ、立川は」
そしてスタッフのアハハと言う笑い声!
絶対に来るんじゃねえぞ!
そしていつの間にか、「立川」が「国立」
に変わっていました。なんて低俗な番組!
でも視聴率はいいらしい。馬鹿にするにも
程があります。もちろん台本のあるやらせ
番組なのでしょうが、佐藤先生以外はくだ
らない番組でした。時間を返せ!!