日誌

学校のできごと

体育館も宝の山


暑い体育館。左正面。校歌の歌詞が飾られています。84回の
卒業生が共同卒業製作で作ってくれたものです。明治5年にで
きた九小ですが、校歌ができたのは昭和33年(1959年)
翌年60周年の、記念事業の一環として作られました。校歌を
作るのに補助金がなかったので、当時のPTAの皆さんが中心
となって廃品回収などをして完成した校歌です。
とっても歌いやすい歌です!

これは、正面右側の大きな卒業制作。くわのみ学級や
焼き物小屋ができた年でしたね。

そして、正面の幕には「創立100年」の文字が。
なんとこの年は30学級!児童数1172名!
入学式に、学習発表会や、展覧会、卒業式。そ
してみんなの体育を50年近く見守ってくれま
した。

あれ!肋木(ろくぼく)にも、昭和52年53年の
卒業生の贈り物だと書いてあります。
40年以上前、松中小や柏小ができて子どもたちが
分かれていった頃です。肋木って何でしょうか。昔流行
した、スエーデン体操の補助具だったとか。

貴重な資料(大人の学校たんけん)


学校沿革誌というのをご存じでしょうか。学校の主な
出来事などを毎年記録していく物です。学校の書類は
保存年限が、3年とか5年とかと決まっています。学
校沿革誌は永年保存です。永久に保存する大切な資料
です。上は今記録している沿革誌。下は1冊前の沿革
誌です。

入学式とか、運動会とか、子どもたちの大切な行事
などを記録します。小泉さんと滝川さんが結婚する
などとは記録しません。(書くわけがない!)
その第一号を発見しました。早速めくってみると!!

その第1ページ。明治34年度までは、記録がなか
ったので、伝聞された物を書き記した貴重なもの。
明治5年一番組から四番組までを学区域にして、流
泉寺境内に学校が始まったことがきれいな字で誇ら
しげに書いてあります。

明治33年の校舎。流泉寺から、今の場所に校舎が
移り、西砂川尋常高等小学校になった頃です。4教室。

明治40年三・四年生が通うようになったので、
校舎を増築しました。左下に「教員住宅」。
宿直でもしたのでしょうか。宮沢賢治や、
夏目漱石の「坊ちゃん」の世界が目に浮か
びます。本当にスケールの大きい話。思い
つきで始めた企画ですが、とても素晴らし
い、歴史に触れられます。

暑い~!!気をつけてください。



市長選挙が9月1日ですね。立川市は、
さらに熱い夏になりますね。

市役所に用事があっていきました。オリパラの
カウントダウン!ちなみに右はパラリンピック、
左はオリンピックです。学校のポスターもその
ように貼ってます。逆に貼ってはダメなのです。

びっくり!ここは喫煙所だったはず!そうです、
一切禁煙になりました。学校でも一切喫煙がで
きません。徹底しているのがさすがです。


おやおや!11時で35度です。この後
36度くらいになりました。体温なみです。

日射しも雲も、真夏!本当に熱射病に、
気をつけてください。室内でなくなった
方が多いとか。冷房をつけましょう。

夢ファーム、先週の作業ですっかり耕されています。
いいですね。(自画自賛)2学期は何を育てるので
しょうか。

「あしっこ」について


7月5日の保護者会。くわのみ学級は「芸術家と子どもたち」
の発表をしました。思う存分体を動かして表現することの楽し
さ、素晴らしさを見せていただきました。2学期の運動会でも
こんな顔が、たくさん見られることを願ってます!

本当に6月~7月は、雨や曇りが多かったですね。
たまに晴れると、校庭に子どもたちの声が響きま
す。「ぶらんこ怖くないの?」というと、このよ
うに元気にこいでくれました!    7月10日

日陰でも、汗びっしょりですね。
でも元気に遊んでいます  7月10日
 
これは、昭和55年(1980年)発行の創立100年
記念誌「あしっこ」です。約380ページの大作です。
表紙をめくると・・・!

「あしっこには」こんなすてきな意味があったのですね。
学校だよりも「あしっこ」。今後も、九小に素晴らしい
あしっこをのこしていきたいです。

大人の学校たんけん⑤


これが焼きがまの中身です。図工専科がまた見せてくれました。
これから、焼く作品です。これだけしか入らないので、学年分
焼くのは大変ですね。かまのドアに「昭和59年製造」と書い
てありました。35年前です。「私生まれてません」と図工専
科。私は赤ちゃん(ウソ)。九小ではくわのみ学級ができた年
です。大島三原山噴火をテレビで見た記憶が・・・。以来いっ
たいいくつの作品をやいてきたのでしょう!どんな作品かは、
3学期までのお楽しみ。

応接室を片付けたら、すごいものが見付かりました。
140周年の時に飾ったようです。教室にびっしりの
子どもたち。おそらく「カラス」とよばれた黒っぽい
制服だった、明治の終わりから大正時代の写真ではな
いでしょうか。みんなすっきり坊主頭。男女別学だっ
たのでしょうか。いろいろ考えられる貴重な写真。

運動会の様子。そういえば男子は白い短パンでしたねえ。
よく見ると、靴を履いている子どもと、足袋をはいている
子どもがいます。足袋の方が走りやすかったのでしょうか。
(光っているのは、電灯の光です。他の写真も)

これも貴重な航空写真。木造2階建てが完成した
60周年(昭和34年)と思うのですが。
影の角度から想像すると、下の門が今の南門。
正門が北にあり、「学校道」と言われた道が
まっすぐに伸びています。今の五日市街道に
ある、門まで伸びています。今のプールのと
ころにも校舎が建っていますねえ。

『校庭を二倍に広げたので、端にあった桜の大木が、
校庭の真ん中に来た。』とあしっこに記述されてい
ます。この大きな木でしょうか。子どもたちのよき
遊び場だったようですね。これも運動会ですね。

昭和20年代の、2階建て木造校舎の写真ですね。
校庭が狭かったのでしょうか。木造校舎は、夏は
涼しいけど、冬は寒く、廊下に立たされると、暗
くて寒くて怖かったですね。(何で知っているのか)
さすが、もうすぐ150年。本当に地域の方の昔話を
伺うとスケールが大きくてびっくりです。校長先生が
「150周年の時に、そんないろいろお話を集められ
るといいですね。」とおっしゃる言葉に、その通りで
すと思いました。
      (参考:140周年記念誌「あしっこ」)