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2021年8月の記事一覧
Hello校長室840
■『土近く朝顔咲くやけさの秋』高浜虚子の名句です。朝はとても涼し
いのでちょっと早起きすると首筋が冷たいです。でも中学の時はこの頃
宿題をやってなくて、首筋どころか背筋が寒くなっていました。時間よ
止まれと毎年歌っていた中学時代でした。 (8月20日飯田芳男)
Hello校長室839
■小学校1年生で読む「くじら雲」を、二中生の皆さんも覚えていると
思います。今朝空に浮かんだ雲はくじら雲のようでした。教科書では
「くじらはあおい空の中を、元気いっぱい進んでいきます」とあります。
私は時々青い空や青い海に向かって飛び出したいと思う時があります。
私も空を泳げるかなと思って、タクシーを止めるようにくじら雲に手を
上げました。すると、ぐんぐんスピードをあげて私の目の前から去って
いきました。私は気を取り直してせっせと働くことにしました。
(8月19日飯田芳男)
Hello校長室838
■サルスベリの赤い(紅い)花を見ると「夏だなあ」と思います。でも、
サルスベリは百日紅と書くように、初夏から三か月くらいは花が咲いて
います。10月初旬でも咲いています。そのころは「秋だなあ」と思わ
ないから不思議です。サルスベリは名前に反して登りやすいです。いえ
あくまでも私の体験です。木登りは降りるのがむずかしいです。祖母は
私に木登りをさせまいとして「サルスベリの木の幹をくすぐると、木が
喜んで動くんだよ」と教えてくれました。祖母は「何度もやるんだよ」
と必ず言いました。私は何度もくすぐりました。するとサルスベリは、
確かに動きます。自分が動くからなんですよね。「何度もやる!」これ
がおばあちゃんの知恵なんですね。この話題、6~7年掲載してます。
「夏だなあ」と思います。 (8月18日飯田芳男)
Hello校長室837
■今日はパイナップルの日だそうです。私が中1の時、英語の先生の
「パイナップル」の発音に感動したのを覚えています。私は「ナ」を強
く発音するのですが、英語の先生は「パ」を強く言って「パイナプール」
と言っていました。美しい発音を真似て、母親に「パイナプール」と数回
言ったら、母は私のおでこに手を当てました。(8月17日飯田芳男)
Hello校長室836
■旧のお盆が過ぎていきました。北海道の知人が「終戦の日が過ぎると
短い秋が来る」と言ってました。私は、一般の大学を出て、通信教育で
小学校の教員免許を取りました。そこで知り合った北海道、長野、広島
佐賀の友人は今も仲がいいです。でも皆、豪雨の被害に遭っています。
東京よりひと足早い秋の訪れを感じる間もなく、豪雨という重い課題を
背負わされた知人たちです。「ちょっとだけ顔を上げて!」とメールを
うちました。 (8月16日飯田芳男)
Hello校長室835
■76回目の終戦の日です。平和はありがたいですが、普通の生活がどれ
ほど大変か苦労はつきません。心はいつも青空でありたいです。
(8月15日飯田芳男)
Hello校長室834
■1867年の今日、札幌農学校が開校し、クラーク博士が教頭先生とし
て着任しました。ウィリアム・スミス・クラーク博士は日本に8カ月滞在
し、北海道開拓の指導者育成に尽力しました。Boys be ambitiousとい
う言葉で、学生たちに別れを告げたエピソードは誰もが知っていると思い
ます。私は「少年よ(青年よ)大志を抱け」と訳されたこの言葉を、時々
思い出しては気持ちを奮い立てています。 (8月14日飯田芳男)
Hello校長室833
■昨夜はペルセウス座流星群をながめようと空を見上げました。でも天気
が良くなくてあきらめました。そんな中、虫が鳴いているのに気がつきま
した。鳴く虫の秋を感知するセンサーは的確です。私は過ぎゆく夏休みを
感知できず、夏休みの終わり頃は「泣き」が入っていました。
(8月13日飯田芳男)
Hello校長室832
■今日、読書量に関する調査が発表されていました。それによると、物事
に進んで取り組む意欲がある人は、小学校から高校まで読書量が多かった
人だという結果でした。私はおおいに反省しました。もっと本を読んでい
れば良かったと。おまけに『小中高と継続して読書をしている人は、各種
能力が高い』と。私の各種能力が今一歩なのは読書量が原因かと、合点が
いきました。「いえ、それだけではない!」と家人のするどい指摘を付記
しておきます。いずれにせよ、読書は大事なんですね。あわててツン読だ
けの本を手にしました。 (8月12日飯田芳男)
Hello校長室831
■夏は汗をかくので着替えの回数が多いかもしれません。私が中学の時は
部活もやっていたので毎日着替え、母は家族の分も合わせ洗濯に追われて
いました。今は私も家事をするようになり(少し…。a little…。)亡き
母の墓前で頭を下げています。ところで当時は、洗剤が大きな箱で売られ
ていました。とにかくでかい箱でした。なぜあんなに大きかったのか謎で
す。おまけに二層式洗濯機の脱水は、ハンドルをぐるぐるまわして、のし
イカを製造するそうな装置でした。洗濯は重労働でした。いえ、洗濯以外
にも家事は大変でした。今は感謝しかありませんが親は「礼が遅い!」と
言っているはずです。 (8月11日飯田芳男)