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日誌
校長室から
Hello校長室204
■日野橋が通行止めで、ラジオの交通情報でも報じられています。その
際、「立川の」という語でハッとしてしまいます。1年生が旧多摩検定
(今年は新名称)を受けていました。そこでふと、立川は「多摩川を縦
に見て立川」という説を思い出しました。横に見るのは多摩丘陵です。
もちろん、普済寺にいた豪族、立川氏がいたので舘川が立川になったと
いう説も有力です。調べると奥が深い立川です。先日の「曙」の者の所
に「てんがあるのか、ないのか論争」は、ある技術科の先生が、旧字体
から新字体への移行の結果だと教えてくれました。「者」の成り立ちを
根拠に知らせていただきました。教えていただきありがたいですし、こ
ちらも奥が深い事柄です。多摩を知るのは楽しいですね。私もタマケン、
受けてみたいです。あっ、漢検二級まだ受かってません。シクシク…!
(10月21日飯田芳男)
Hello校長室203
■昭和54年10月20日も台風が東京を通過しました。午後、大学が
休講(休校)になったのでよく覚えています。当時はアナログ的な連絡
で、苦労して登校したあげくに、貼り紙一枚で休講が知らされました。
この日は都心の電車が数時間止まりました。復旧の見込み等知らされな
かったと記憶しています。二中生の皆さんには昔話ですが、この頃は、
スト(ストライキ)というのがあって、電車やバスが止まることが珍し
くなかったです。私は母親と言い争いになった時、食事を拒否するハン
ガーストライキに突入したことがありました。しかし空腹に勝てず、す
ぐに全面降伏する青春期でした。大人を越えるのは大変でした。
(10月20日飯田芳男)
Hello校長室202
■11月上旬の給食は、今が予約の時期です。休み時間は校長室前がにぎ
やかです。漏れ聞こえてきたのは、過日のテレビドラマ「凪のお暇(なぎ
のおいとま)って立川がロケ地だったんだって」という話題でした。生徒
の言う通り、サンサンロード周辺、中央図書館、多摩川緑地野球場付近、
オニ公園が登場してました。広報たちかわ9/25号にも掲載されていました。
生徒の情報はさすがに「イマドキ」の内容ばかりです。友達と話すことは、
嬉しさは二倍以上、怒りや悲しみは半減、あるいは消滅するというのが私
の経験です。最近私は一人でぶつぶつ言ってます。友人が離れます。
(10月19日飯田芳男)
Hello校長室201
■東京駅伝の選手選考のため、2年生の選手候補は、ほぼ毎土曜日練習に
いそしんでいます。生徒はもちろん、スタッフの先生方には感謝申し上げ
ます。マラソンや駅伝等の走る競技は、抜きつ抜かれずのデッドヒートが
観客としては醍醐味ですが、選手にとってはきついですね。一人抜くこと
がこんなにも大変であることは、「選手のみぞ知る」だと思います。大学
駅伝の予選会もまもなくです。通り過ぎる選手全員に声援をおくるつもり
です。私は西武線から武蔵野線に乗り換える時、ざっと100人は追い抜
いています。この脚力は、前任校の教員リレーでは生かしきれませんでし
た。スーツに革靴、そして迫る発車時刻、これが最高の走りを生みます。
(10月18日飯田芳男)
Hello校長室200
■本校の所在地は曙町3丁目です。交差点の表記と電柱の町名表示の「曙」
が、「てん」が有るなしの違いがみられます。よみがなは、あけぼのチョ
ウが一般的で、あけぼのマチではないようです。しかし、曙という字に、
「てん」があるかないかは、私には理由がわかりません。昔は「てん」が
あったという事実は、本校の住所のゴム印に「てん」があるので証拠が残
っています。では、根拠となる理由は何でしょうか。「てん」がある方が
正しいのでしょうか?私は前からとても気になっていました。メタ認知能
力が高いと言ってもらえるでしょうか。さて、「てん」があるかないか?
二中生の皆さんの中で、もし有力説があれば私に教えてください。
(10月17日飯田芳男)