日誌

校長室から

チャンス(Hello 校長室 1月11日)

 アメリカの実業家A・カーネギーは「チャンスに出会わない人間は一人もいない。それをチャンスにできなかっただけである」と語っています。チャンスをものにできるかどうかは、日頃の賜物でしかないように感じます。毎日を大切にしていく、心に留めて進んでいきたいと思います。

 

ことばの力(1月10日)

 3年生の廊下の壁に自分が励まされたことば、印象に残っていることばの紹介がされています。

お互いに励まし合って自分の進路を勝ち取って欲しいと思います。「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」

ことばには大きな力がありますね。

 

こまめに(Hello校長室 1月9日)

 ニュースではインフルエンザの予防接種を受けていても高熱を出して診察するケースが増えている、タミフルの製造が間に合っていない等伝えています。予防の基本は、手洗いとうがいです。また集団ではマスク着用がのぞましいです。良い準備が良い結果に近づきます。「運」もまた準備が8割とテレビ番組で話されていました。こまめに手洗いとうがいを徹底しましょう。

 

3学期が始まります(Hello 校長室 1月8日)

 3学期が始まります。始業式の話では目標を達成するまであきらめない、できるまでやる努力の大切さについて話そうと考えています。生徒の皆さんにとって壁を乗り越えて行く粘り強さが発揮される一年であることを期待しています。

 

新聞配達(Hello 校長室 1月7日)

 新聞配達をしているオートバイの音で今日は目覚めました。4時50分です。昨日の雨は続いているのだろうか、新聞をデジタルに代えたら、寒い中の配達はなくなるのだろうか等、様々なことが頭に浮かんできました。今日も様々な情報を届けていただいていることに感謝して新聞に目を通して行きたいです。

 

主体性は強し(Hello 校長室 1月6日)

 青山学院大学の駅伝部は今では箱根駅伝で優勝するなど有名ですが、原監督が就任した当初は、寮での生活規律も定まっておらず、予選会でも結果が出ない時がありました。選手自身がこのままではいけないと気付き、寮生活でのルールを決めたり主体的に動いたりすることで、今の伝統を築いたといえます。やらされるのではなく自分からやることが意欲の原点です。2025年は自分から進んで取り組む何かを決めて毎日、積み重ねて行って欲しいと思います。

学問のすすめ(Hello 校長室 1月5日)

 福澤諭吉さんの学問のすすめでは「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が有名です。しかしその後に「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」との主旨が続きます。学ぶか学ばないかが重要だと教えてくれています。学び続けることが自立した個人を作って行くことになります。2025年は自分の興味、関心があることなど学び続ける一年であって欲しいと思います。私は身近にできる読書をすすめていきます。

結果を出すために(Hello 校長室 1月4日)

 結果を出すために人は日々努力します。結果が出る場合と出ない場合があります。その違いはどこにあるのか考えることがあります。評価は自分がするものでもありますが、基本は他人の評価が重要だと思います。自分で頑張っていても、他の皆が頑張っていると感じなければ努力が足りないかもしれません。努力したかどうかは、他人が決めるものです。誰もがその選手の努力を認め、その選手を試合に使ってみてくださいとなれば、最高だと思います。努力をした分、結果が出ることに近づくといえます。それでも結果が出ない場合もあります。でも諦めなければ、結果が出る可能性はあります。柔道の角田夏実選手は、その事を実証してくれています。強い気持ちをもって、とことんまでやり抜いた人にチャンスは訪れるのだと思います。本校の生徒が粘り強く、自分との闘いに勝利することを願っています。

新記録(Hello 校長室 1月3日)

 昨日は箱根駅伝の往路で青山学院大学が1位となりました。今日は復路です。昨日も区間新記録が出ていました。どこまで人はスピードで進化できるのか、びっくりです。より科学的にトレーニングを行っているにしても、ここに照準を当てて勝負できるのは、人間である醍醐味ではないかと感じます。今日の復路でも新記録が出るのか楽しみにしています。

 

2025年(Hello 校長室 1月2日)

 今年の干支は「巳」ですが、本来の干支は十干と十二支の組み合わせで成り立っているので、正確にいうと「乙巳」となります。これは「努力を重ね、物事を安定させていく年」とされています。努力が実を結び始める時期を示唆していますが、成長速度は個人によって違うので、辛抱強さが試される年ともいえます。「粘り強く取り組む」ことがポイントです。私も肝に命じていきます。

 

新年明けましておめでとうございます(Hello 校長室 1月1日)

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。私は今年還暦を迎えます。孔子は「六十にして耳順がう」とあります。他人のことばを素直に受け入れ、本校の教育活動がより良いは方向に進んでいくよう、舵取りをしていきます。今年も引き続き、ご理解とご支援のほど、よろしくお願いいたします。

 

2024年12月31日(Hello校長室 12月31日)

 今年も本校の教育活動にご理解とご支援をいただき、ありがとうございました。「挑戦する」「感謝する」「貢献する」の3本柱を軸にこどもたちが果敢に過ごした1年であったと思います。来年も失敗を恐れず挑戦し、自分一人の力だけでなく多くの人の支えに感謝し、自分の力を誰かのために尽くす生徒であって欲しいです。それから「寛容」が大事なキーワードになると思います。自分だけが正しいと思い、相手を批判するだけでは何も解決しません。お互いを認めていく力も大切です。中学校で過ごす3年間はあっという間に過ぎ去っていきます。これからも立川二中生で良かったと思える充実した中学校生活を創りあげていきましょう。

まめまめしく(Hello 校長室 12月30日)

 本屋さんで「おせち」という絵本を見ていました。「くろまめ ぴかぴか あまい まめ まめまめしく くらせますように」と書いてありました。「まめまめしく」とは、形容詞「忠実忠実しい」の連用形で「真面目で」「誠実」「骨惜しみせずよく働く」ことの意味です。また、健康や丈夫さ、達者な様子を意味する方言の「まめ」なという意味も含んでいるようです。おせち料理の意味を振り返ってみるのもよいかもしれません。

 

言志四録(Hello 校長室 12月29日)

 言志四録とは儒学者の佐藤一斎が書いた語録です。西郷隆盛や吉田松蔭、坂本龍馬らがよく読んでいたと言われています。とりわけ西郷隆盛は、言志四録を座右の書として特に自分の心に響いた言葉を抜き書きし、手抄言志録(西郷南州遺訓)として残っています。久しぶりに目を通しています。西郷隆盛の気分になっている自分が可笑しく思えます。「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。(言志晩録60)」学びは朽ちないです。

小心翼翼(Hello 校長室 12月28日)

 「小心翼翼」という言葉に出会いました。心細やかに対応すること、心遣い、気遣いという意味だそうです。長官たる者は、「小心翼翼」を忘れること勿れ。(言志晩録160)肝に命じていきます。

 

 

大きな家(Hello 校長室 12月27日)

 「大きな家」という映画を観てきました。児童養護施設のふつうの日常を描いた映画です。こどもたちの語ることば一つ一つに感情が揺さぶられました。「家族とは何か」「前向きに生きるとは」等、あらためて考えさせられることが多くありました。

 

インフルエンザ(Hello 校長室 12月26日)

 冬休みに入りました。インフルエンザA型pdm09が流行っているそうです。pdm とはパンデミックという意味だそうです。パンデミックとは世界的な流行をさしています。09は、2009年に流行した意味です。基本は、20秒から30秒と長めの手洗いです。健康でお正月を迎えるためにも大切なことです。

2024年漢字1字(Hello 校長室 12月25日)

 本日は、2学期終了式です。保護者、地域の皆様には、あたたかいご支援、ご理解をいただきありがとうございます。本校の2024年漢字1字は、挑戦の「挑」と私は感じています。運動会では実行委員会が自分たちではじめて考えた競技(箱を運ボックス)をしました。合唱祭では、有志合唱団が結成され「手紙」を歌いました。2年生は、職場体験の報告を1学年にポスターセッションで披露しました。他にも食育講座や落ち葉履き等、新たに始めた取組がありました。そのようなことから「挑」が本校の2024年漢字1字と私は感じています。

税金(Hello 校長室 12月24日)

 昨日の朝日新聞に「103万円の壁」を引き上げる財源として土地の資産価値に応じて課税される「地価税」を検討しているとありました。「地価税」とは1992年バブル期の地価高騰を抑制するために施行されたが、98年分以降は課税が停止されているそうです。固定資産税とはどう違うのかと頭に浮かびました。日本にはおよそ50種類の税金があります。どんな税金が今後生まれるのか、その根拠は何か、生徒の皆さんも考えてみてください。

 

 

短編(Hello 校長室 12月23日)

 図書館に行き、国語の教科書に出てくる作品が掲載されている「教科書名短編」を借りて読みました。中学生の頃を思い出してみたくなったのかもしれません。吸い込まれるように読んでしまいました。芥川龍之介の「トロッコ」は、読んだ記憶があり、懐かしく感じました。