日誌

学校のできごと

小中連携活動②


三中校区の主事さんが、三小に一堂で結集しました。
2日間で一生懸命作ったものは何か?ジャーン!!

それは、卒業式などの行事に使う、ひな壇です。
なんといっても今年は、学芸会があります!
この台の上で大活躍だ!この後色は塗る予定とのこと。

取っ手は2か所穴をあけて、真ん中をのこぎりで。
持ちやすいよう、工夫をしました。本校の主事さ
んを含め2日間、三中校区の主事さん方、この暑
い中ありがとうございました!絶対いい学芸会に
します!

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO277 (2018/07/26)

校長日誌 錦町の空から NO277 (2018/07/26)

これが昔の夏休みの気温?②
(前号より)

 記憶でたどれない天気や気温はどうするのか?というと、実は(今だから告白しますが)、図書館に行って、1ヶ月ほど新聞の天気・気温欄を見て、夏休み日記に記入していました。(今思えば、担任の先生は気づいていたと思います。)
 その時、記入した気温(私の小学生時代ですから数十年前)ですが、確か30度はほとんど超えていなかったように思います。それこそ、今日の最高気温28度くらいだったでしょうか。そのことを考えると、数十年という月日が経っていたとしても、やはり異常事態ですね。
 さて、昨日の1回目は、全く問題なく高学年の子供たちがプールには入れました。ただ、昨日までの異なり、2回目も3回目も熱中症情報「危険」は発出されることはありませんでした。ということは、中学年も低学年も入れたのでは?と子供たちは思ったことでしょう。しかし、「子供たちの安全のため、1回目のみ」と決断して、そのための教員体制も補習や個人面談を踏まえて再構築したところなので、突然2回目やります!というわけにはいきません。
「水は(猛暑で)ぬるい~。」と言いながらも、楽しそうに泳ぐ高学年の子供たち)

 昨日も今日も台風12号の影響で、このような天候ですが、台風が土日にかけて通り過ぎればまた暑さは戻るようです。
 子供たちは2回目、3回目とも入りたかったことと思いますし、保護者の皆さんも同じ思いだと思いますが、どうかご理解いただければ幸いです。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO276 (2018/07/26)

校長日誌 錦町の空から NO276 (2018/07/26)

 これが昔の夏休みの気温?①

 今朝、出勤しようと戸外へ出ると、「あれ?涼しい・・・。」と久しぶりの肌感覚。台風12号が接近しているため、気温は25度。朝から30度あった日々からすると、5度も低いわけで、涼しいと感じのも当然かもしれません。
 でも、25度が涼しい、というのは、私が子供の頃からすると、やはり異常なのかもしれません。
 私が子供の頃は、夏休みの宿題の定番と言えば、一行日記。その一行日記には、必ずと言ってよいくらい、天気と気温の欄がありました。(おそらくは、まとめ書きを防ぐ、という先生方の意図もあったのでは?)
 私は、そのまとめ書きの典型的な子供でした。(いつも先生にはバレましたが・・・。)日記は記憶をたどって、適当に書いたのですが(ほぼほぼ毎日「プール→友達と遊ぶ」でしたので)、天気と気温はさすがに記憶をたどることが不可能です。
(次号へ)

たんけんぼくのまち 校庭には自然がいっぱいの巻



暑さに負けず、いや太陽の恵みか、5年生のバケツ稲
が順調に伸びています。青々としています!!

見守りシルバーさんの皆さんが、湿地花壇を
池にしてくれました。写真で見るよりきれい
でもっと透き通っています。今年のカエルは
プールでなく、この池に卵を産むのでしょう。

ガマの穂が、出かかっています。こうやって
ガマの穂は、出てくるのですね。夏らしい草です。

個人面談の帰りに、ミニトマトを持って帰って
いただいて、とうとう一つもなくなりました。
毎日収穫ですね。楽しみですね。

雲が多くて、30度を超えたのに、涼しいと感
じるようになってしまいました。雨が降りそう
な雲なのですが。

たんけんぼくのまち 錦の道はまっすぐだの巻

以前、三中校区PTAの会合で「矢川緑地が好きだ」
と言ったらトラウマになりそうなくらい不評でした。
そこで、名誉挽回。今日は最近気になっているステキ
な場所の発表です!

ここは、錦町6丁目、日野橋バス停付近に、怪しげな
場所が。草をかき分け進んでいくと・・・・。

見よ!「旧立川町耕地整理記念の碑」だ!
人と比べてもかなり大きいでしょう。刻ん
である格調高い漢文を読むと!

(これは寄進者のお名前)
昭和9年までに、桑畑や荒れ地だった立川駅南側を
整理し、まっすぐな道路を計画整地した記念の碑です。
だから、学区域はきれいな格子状なのですね。戦前に
立川通りや、市川さんのお米屋さん前の道などを整備
したなんて先見の明がありすぎます。すごい!
そして、この巨大な石碑は、三小(当時は旧二小)の
校庭で、作られて運んできたのだとか。この事実だけ
で萌えてしまうのは、やはり病んでいるのでしょうか
(笑)。

この大切な史跡、錦六会の皆さんが整備して
くださっているのですね。よくぞ桑畑や草地
だった錦の街を整地してくださったと地域の方
々に感謝しつつ去りました。区画整理ではなく、
農地を少しずつ出し合って道路をつくった耕地
整理です。交通の便が確実に今も生きています。