日誌

2019年8月の記事一覧

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO944(2019.8.30)

校長日誌 錦町の空から NO944(2019.8.30)

 今日の給食

 雨が降っています。秋雨前線が停滞しているとのこと。
 来週からは晴天が続きそうです。
 さて、今日から給食が再開されました。三小の美味しい給食です。

今日の給食メニュー:麻婆野菜丼、トマト入りサンラータン、ミカンシャーベット、牛乳

美味しゅうございました。


831()は、野菜の日です。野菜を英語でベジタブルといいますが、もともと「元気づけるもの」という意味からついた名前だそうです。身体の調子を整え、病気に負けない身体を作ってくれます。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO943  (2018.8.30)

校長日誌 錦町の空から NO943 (2018.8.30)

 104万アクセス達成

 104万アクセスを達成しました。ありがとうございます。
 さて、始業式間際の8月27日。立川警察署と協働して、不審者対応訓練を行いました。

昇降口から不審者が侵入。不審者役は、教師です。

まずは、担任(あくまでも役割演技)が対応。子供たちを守るため、不審者を感情的にさせないように、冷静に対応。

不審者(役)の大きな声を聞きつけて、隣の学級の担任(役割)も対応します。ここでも感情的にさせないように、あくまでも冷静に対応。
先生方は冷静に対応していたのですが、不審者役は激情型。大きな声を張り上げます。(ちょうどこの時、転入の親子がやってきていたのですが、大声にびっくり。もちろん、「不審者対応訓練中です。不審者役の先生も、普段は優しい、大きな声など張り上げない先生です。」と伝えて安心してもらいました。)
最終的に、説得が功を奏し、不審者役は校長室に来ました。私と副校長で冷静に対応しているところに、お巡りさんが到着。刃物を隠し持っていたため、二人のおまわりさんが不審者を確保して、実技訓練は終了。

終了後、英語教室で振り返り。先生方は、あれこれ想定をして、いろいろな疑問が出ました。その疑問に立川警察署のおまわりさんが的確に答えてくださいました。
お巡りさんからは、「先生方の動きは大変良かった。改善したほうが良いと思われる点については、また話し合って、決めておいてください。」とのお言葉をいただきました。子供たちの安全を守るため、教員で話し合いました。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO942 (2019.8.29)

校長日誌 錦町の空から NO942  (2019.8.29)

 聖地巡礼⑥
 今日から2学期。子供たちの元気な顔を見るのが楽しみです。
 最後の聖地巡礼は、渡米後に決まった地。それは、マンザナー日系人強制収容所です。
 第二次世界大戦の際、日系人が強制収容されていたことは歴史として知っていましたが、詳しくは知りませんでした。ところが、NY日本人学校の中学生の修学旅行でワシントンDCに行った際、強制収容記念碑を見たことがきっかけとなって、「いつか強制収容所を見に行ってみたい」という気持ちになりました。

ワシントンDCにあるユニオン駅の近くにそっとたたずんでいる強制収容記念碑。
有刺鉄線にがんじがらめになっている様子を表しています。これを見たときにはショックを受けました。
そして、夏季休業中にヨセミテ国立公園に行った際に、マンザナー強制収容所の跡が残っていることを知り、家族に頼んで、ヨセミテ国立公園から2時間以上車を走らせて、強制収容所跡を訪れました。
高速道路を進み、国立公園から離れると、緑が亡くなり、目の前には平原が広がりました。平原といっても、ただの荒れ地。高速道路から少し入ったところに収容所がありました。風が吹き抜けると、砂ぼこりが舞う、まさに荒野でした。

この場所に強制収容所があったのです。有刺鉄線に囲まれた自由がまったくない場所。

上記の写真は当時の写真。

アメリカが強制収容所跡に、博物館のように、収容所の建物何棟も再現してありました。
夏は高温、冬は厳寒の荒野。そんな場所に収容所があり、日系人はひたすら耐えたのです。

日系人は、自分達が食べる食料を荒れ地を耕作し、育てていたそうです。記録によると、収容されていた日系人は、みなこのような言葉をつぶやいていたそうです。
「仕方ない。」
我慢強い日系人らしい言葉です。

博物館には、上記のような当時の写真があり、詳しい説明がありました。
見学者は、ほとんどがアメリカ人。その中の一人のアメリカ人が私に話しかけてきました。
「あなたは日本人か?」
私が「そうです。」と答えると、そのアメリカ人は
「強制収容は間違えていた。日系人には申し訳なかった。」
と私に言いました。

強制収容所で亡くなった日系人もたくさんいました。その慰霊碑が立てられています。

戦争が引き起こした悲劇。このような悲劇を繰り返してはいけない、と強く感じた聖地巡礼でした。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO941 (2019.8.28)

校長日誌 錦町の空から NO941 (2019.8.28)

 聖地巡礼⑤
 いよいよ明日は2学期の始業式です。保護者の皆さん、今年の夏休みは長かったですか?それともあっという間でしたか?

 さて、アメリカに行ったら行きたかった聖地のその4は、ゲティスバーグです。ゲティスバーグは、アメリカの南北戦争の頃の古戦場で、リンカーンが有名な演説をした場所です。
←リンカーン大統領
ここも私にとっては、聖地ですが、つきあわされた家族はえらい迷惑だったかもしれません。
 リンカーン大統領が有名な演説をした場所は、復元されていて、アメリカ人がその場所に立って、記念撮影をしていました。日本人である私もその場所で記念撮影をしました。(日本人の観光客はほとんどいませんでした。)

 ↑ government of the people, by the people, for the people(人民の、人民による、人民のための政治)という演説をリンカーンがしている様子
 実際は、かなり小さな声での演説だったようです。
 ↑今は、このような状態に保存されています。私もリンカーンのような気分でこの場所に立ちました。
 私が訪問したときには、ゲティスバーグ・ミュージアム・ビジターセンターができあがっていて、南北戦争やリンカーンの展示がビジュアルでわかりやすくなっていました。(これにも感激!)
 聖地巡礼の場所は、思い入れのある人間にとっては、何かその場所から元気をもらえる、パワースポットのようなものです。
 これからもチャンスがあれば日本国内で私は聖地巡礼を重ねていきたいと思っています。(その場所から、何かパワーをもらえる気がします。)

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO940 (2019.8.27)

校長日誌 錦町の空から NO940 (2019.8.27)

 聖地巡礼④

 アメリカで訪れたかった3つ目の場所は、リンカーン記念堂。といっても、リンカーン記念堂そのものよりも、記念堂の前の階段に行きたかったのです。この階段の一角には、かのキング牧師が「 I have a dream」の演説をした場所があります。この場所を訪れたかったのです。
リンカーン記念堂。
このリンカーン記念堂があるワシントンDCは、NY日本人学校の修学旅行の目的地です。当然、リンカーン記念堂も見学場所の1つなので、キング牧師が立って演説した場所も行きました。ここについては、中学校2年生も、キング牧師が立った場所を確認していました。それだけ有名な場所です。

私は、演説場所にしばし立って、キング牧師の夢に思いをはせました。

皆さんの夢は何ですか?