日誌

カテゴリ:校長日誌

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO308 (2018/08/19)

校長日誌 錦町の空から NO308 (2018/08/19)

 現地校交流②

 現地校との交流で現地校を初めて訪問したときは、驚きと失敗の連続でした。
 まずは失敗。交流担当の現地校の女性の先生に、覚えておいたスペイン語で挨拶しました。
「エンカンターダ!」
「初めまして。」と言ったつもりでした。ところが!相手の女性の先生は、驚いた表情をしていました。とりあえず握手はしてくれましたが、表情が何か変でした。

 後で日本人学校で3年目の同僚の先生が教えてくれました。
「内野さん。挨拶の時に『エンカンターダ!』って言ったでしょう。あれは×。『エンカンターダ』って女性の挨拶なの。男性は『エンカンタード』って言わなくちゃいけないの。」
 ひょえ~っ!そうか~。男女で言葉が違うんだ~。つまり、私はスペイン人にしてみれば、お姉言葉を使う日本人と見なされたんだあ、と納得。
 ちなみに、私に「これからはエンカンタードと言いなさい。」と教えてくれた日本人学校の同僚の先生は、「まりこ」という日本人としてはごくごく普通の名前でしたが、「私はスペイン人には、自己紹介の時に『マリ』としているわ。なぜかというと、『まりこ』って、スペイン語では、『オカマ』という意味になるから。」
 なるほど~っ!私はアメリカで自分の名前「ヤスユキ」を縮めて「ヤス」と言ったら、それが英語の「イエス」のスラングの「ヤス」と同じになって、行く先々で、馬鹿ウケしました。その時は、なぜ馬鹿ウケしているのかわかりませんでしたが、後で「ぼくの名前は、『そうだよ。』です。」と言っているのに等しいとわかりました。
 海外生活あるあるですね。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO307 (2018/08/18)

校長日誌 錦町の空から NO307 (2018/08/18)

 現地校交流①

 日本人学校では、世界中どこでも現地校と交流を行います。せっかく異国にいて、現地の子供たちと交流しないのは、外国にいた意味がありません。もちろん、交流するには、下準備がかなり必要で、先生方は、企画→相手校とのやりとり(これは、スペイン語の堪能な事務長さんにお願いしていました。相手の返答に再度検討し直すこともしばしばでした。)→子供たちと交流の準備(最低限のスペイン語を講師に教えてもらう、名札をはじめとする準備物を用意する、リハーサルをしてみる等々)→交流当日。
 交流は、双方向となっているので、1つの学校につき2回行いました。
 日本人学校に来てもらうときは、せっかくの機会なので、日本文化を体験してもらいました。例えば書道。簡単な漢字を書いてもらって、最後に相手の名前を漢字に変換して日本人学校の子供たちが書いてあげるなどという交流です。また、中学校は、剣道での交流をしました。当時スペインでも宮本武蔵が流行していて、剣道が好きなスペイン人が多く、剣道を交流で行うと、現地校の先生方(と子供たち)はとても喜びました。当時の日本人学校には、剣道有段者(それも国体レベル)の先生が2人もいて、師範をすると、これも大変喜ばれました。

 また、私と同期に派遣されていた先生が、日本で太鼓の指導をしていたことから、 日本人学校の子供たちに太鼓の体験をさせたいと思い立ちましたが、当然のように太鼓はありませんでした。そこで、学級の保護者でワイン工場を経営していた保護者(お母さんは日本人ですが、お父さんはスペイン人)にお願いして、ワイン樽を譲ってもらい、その樽を太鼓にして太鼓を始めました。さすがは日本人。指導者も良かったのでしょう。あっという間に上手になって、保護者にも披露して、大喝采。(これがきっかけで、私たちが帰国した後、本物の和太鼓が日本人学校に寄贈されたとのことでした。)
 この和太鼓を交流に活用しない手はありません。スペイン人に披露すると、子供たちも先生方も大喝采でした。
 日本文化を知ってもらうには、交流はうってつけでした。
 

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO306 (2018/08/17)

校長日誌 錦町の空から NO306 (2018/08/17)

 スペイン人のステキなところ
 
 前号まででスペイン人のアバウトなところ、つまり悪いところに触れました。(でも、そのアバウトさがなんとも言えず良い、という日本人も多々いました。むしろ今様々なことですぐに炎上する「妙な厳格さ」は、ちょっと行き過ぎているかなと思うこともしばしばあります。その点、スペイン人のアバウトさは、こういう形にはなりにくいと思います。アバウトさって、もしかしてこれからの時代の日本では必要なのかもしれません。)
 スペイン人にはたくさんの良いところがありますが、今回は1つ書きましょう。
 それは面倒見の良さ。困っている人がいたら、放っておけないのがスペイン人です。街を歩いていて、迷子になって、道を尋ねると、一生懸命その場所を教えてくれようとします。それだけではありません。道を聞いた人が以外でも次々と集まってきて、みんな口々に「あっちだよ。」「いや、こっちだ。」「何言ってんだ。俺は知っているぞ。こっちだ。」としゃべり、道を聞いた私は、どうしてよいやら途方に暮れることがしばしばありました。
 また、私の妻は、スペイン人の優しさに感激することがしばしばありました。妻は、定期的に我が子をベビーカーに乗せ、電車で街の中心地に和食を作る食材を買いに出かけていました。しかし、当時は駅がバリアフリー化していなかったため、階段を上るのには、ベビーカーを持ち上げてのぼらなくてはいけません。これは女性にはかなり大変な仕事。さあ持ち上げよう、とすると、いつの間にかスペイン人たちが集まってきて、手伝ってくれたのです。それがたまたまではありません。ベビーカーで駅を利用すると、毎回手伝ってくれるのです。妻は言いました。

「スペイン人って、いい加減なところもあるけれど、根本はとっても優しいよね。」
 私もそう思うことがしばしば。
 時間へのアバウトさと困っている人を見ると助けようとする優しさが見事の共存しているのがスペイン人だと思っています。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO305 (2018/08/16)

校長日誌 錦町の空から NO305 (2018/08/16)

 何が幸せか?②

 (前号より)
 バルセロナにいた頃のあるとき、我が家で簡素なパーティーを行いました。
 そこへ招待したスペイン人が案の定遅れてきました。
 私は定番の「エスパニョール!!(やっぱり、スペイン人だよな~。)」を繰り出すと、笑いながら、そのスペイン人は切り返してきました。
「俺たちスペイン人は『生きるために働く』。でも君たち日本人は『働くために生きている』。」
 この言葉は強烈でした。妙に納得。そして、考えさせられました。
 幸せって何だろう?何が幸せなのか?と。
 実際、スペイン人を見ていると、本当に人生を謳歌しているように見えました。
 「人生は楽しむためのもの」と考えているようでした。
 それに対して私などは「人生は修行」と考えているところがありました。
 もちろん、そのスタンスは大きく変わってはいないのですが、あまりにも余裕がないのは考えものだと感じるようになりました。
 おかげで今は休みの時はしっかり休むというスタンスに変わってきました。
 とは言っても、やはり私は日本人です。指摘されたように、「生きるために働く」というより、「働くために生きている」部分はかなりあると感じています。
 いろいろな幸せがあって良いのだと思います。「折り合うべきところをしっかり折り合い」、「チームとして成果を出すために貢献する」ことを前提としたら、その他で何を大切にするかは、個々人が決めることなんだろうと思います。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO304 (2018/08/16)

校長日誌 錦町の空から NO304 (2018/08/16)

 何が幸せか?①
 
 今日の話題も全くの個人的な話題です。ここで書くことはあくまでも私見であることをご理解ください。

 イニエスタの緊急帰国を耳にして私は「エスパニョール!」と思わずつぶやいてしまったと書きました。実際、スペインに住んでいるとき(バルセロナ日本人学校時代)、スペイン人のアバウトさに閉口した覚えがしばしばありました。

 例えば、洗濯機が壊れて、修理屋さんを頼んで「今忙しいから、来週の土曜日に行くから。」と言われ、「え~、あと10日以上もあるじゃん。その間洗濯はどうすんだよ~。」と思いつつも、「郷に入っては郷に従う」と思いなおし、ひたすら待ったところ、待てど暮らせど来る様子もありません。まだ渡西してまもないころで、スペイン語は全くしゃべれません。電話もできず、困ったまま土日を過ごしました。翌週、通訳の人を頼んで、確認してもらったところ、その修理屋さんはこう言いました。
「ごめん。妻が妊娠しちゃってさあ。」
 妊娠なら仕方ないとあきらめ、ようやく次の土曜日に来た(英語が少しわかる)その修理屋さんに
「ところで、あなたの奥さんはどう?」
と尋ねると、「は?俺の妻?なんで?何の話?」ときょとんとしています。
「いや、だって、奥さんが妊娠したから、先週の土曜日に来られなかったんだでしょう?」
と私がさらに聞くと、その修理屋さん、
「え?妻は妊娠なんかしていないよ。」
との答え。
 ここでわかりました。つまりは言い訳をしたのです。

 時間にルーズなスペイン人は多々いました。日本人学校でスペイン語の先生をしていた女性たちも、一緒に納め会をしようとしてもまず時間通りに来ませんでした。
 8時に待ち合わせしても、来るのはみんな9時。
「どうしたの?」
と聞いても、だいたいいつも同じ答え。
「道が混んでいたのよ~。」
「出かけにお母さんに手伝いを頼まれてね~。」
等々。
 これもほとんどは言い訳です。
 そんなとき私たち日本人は、スペイン人に向かってこう言ったのです。
「エスパニョール!!(やっぱスペイン人だよな~。)」
(それに対するスペイン人の先生たちの答えは・・・「あなたたち日本人がまじめすぎるのよ。」でした。最後は互いに笑っておしまい、と言うのが常でした。)
 
 そんなことを思い出したので、イニエスタの緊急帰国を聞いて思わず私は「エスパニョール!!」とつぶやいてしまったのです。(怒ってはいません。愛情込めた言い方のつもりでした。)
 ただ、この私の反応は正しくなかったようです。私のつぶやきを聞いた、イニエスタの大ファンである同僚は
「イニエスタは、来日直後に試合に出てたんですよ。ホントは出なくても良いのに。ビザの関係もあって一度帰国しなくちゃ行けなかったんじゃないですか?」
 なるほど。もちろんバルサ(FCバルセロナ)のファンでもある私はこれで納得。
 
 それでもやはり、スペイン人の時間や約束にアバウトなところは今でも強い印象に残っています。ただ、ここで言いたいのは、それでも私はスペイン人が好きであることです。時間にある程度厳格な私たち日本人からすると、「ちょっとなあ~。」というところはあるのですが、次第に慣れてくると(日本人学校に3年間いたため、慣れてきました)、そこも含めてスペイン人が好きになってくるのが不思議です。
 
 「多文化共生」というのも、とどのつまりは、「折り合えること」「相手の違いを受け入れる」ことになるのではないでしょうか。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO303 (2018/08/15)

校長日誌 錦町の空から NO303 (2018/08/15)

 42万アクセス達成!!
 
 今日は終戦記念日です。広島に原爆が投下された8月6日(月)の職員朝会では、教職員で黙祷を捧げました。今日は(今日まで)閉庁なので、黙祷を捧げられませんが、このHPを通じて、黙祷を捧げます。
 
 さて、ふとHPを見て気づきました。何と、もう42万アクセスを達成していました!
 皆様のご愛読に重ね重ね感謝しています。
 三小に赴任したとき、前任校のけやき台小学校のHPのアクセス数を越えることを目標としていました。ところが前にも書いたとおり、けやき台小学校のHPはまだまだ元気です。というわけで、けやき台小学校は更新はなくても、そのまま閲覧数を増やしてもらって、我が三小は、地道にコツコツと歩みを進めていきます。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO302 (2018/08/15)

校長日誌 錦町の空から NO302 (2018/08/15)

 同窓会
 すみません。子供がいないと書くネタがないので、この後しばらく全くの個人的な話題が続きます。

 以前の話題の続きです。ニューヨーク日本人学校の同僚と同窓会をしました。(校長が教員に向かって同窓会というのは、少々奇異に感じることでしょう。正式に言えば、部下なのですが、部下という意識には慣れません。どうしても同僚、という位置づけになってしまいます。)
 今回の同窓会は、
8月5日の日曜日の夜。サッカー観戦をして、懇親を深めようという企画。サッカーのキックオフが7時だったため、終了は早くても9時過ぎ。そのまま懇親会をすると、午前様は間違いありません。私も同僚も月曜日は仕事だったため、サッカー観戦の前に軽く一杯ということになりました。思い出話に花を咲かせて、ひとしきり盛り上がったところで、味の素スタジアムへ。この日は、かの「イニエスタ」が試合に出ると言うことで、猛烈な人出。何と4万4千人を越えたとのこと!
味の素スタジアムは校長試験の面接会場。違った意味で懐かしい。混雑は、まるで竹下通り(古い?)か巣鴨の地蔵通り商店街(これも古い?)のような感じでした。

 FC東京とビッセル神戸の試合は、何とイニエスタの緊急帰国で盛り上がりも今一歩でした。(でも、猛烈に暑かったので、選手ファーストで考えると、盛り上がると危険かもしれなかったです。)
 イニエスタ帰国と聞いての私の率直な感想は、「エスパニョール!(やっぱスペイン人か~!)」でした。
 かつての同僚と試合観戦をして、さらにすぐそばに、けやき台小学校の子供が観戦していたので、猛烈に暑い夜でしたが、楽しむことができました。日曜日とはいえ、こういう楽しみが夏休みらしいと言えましょう。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO301 (2018/08/14)

校長日誌 錦町の空から NO301 (2018/08/14)

 図書関係の活動が活発な三小

 話題がさかのぼってしまって申し訳ありません。夏休み中の7月27日(金)に図書イベントがありました。たくさんの子供たちが参加して、イベントを堪能しました。





図書イベントは、読み聞かせあり、本のしおりづくりあり、と盛りだくさんでした。
先生方が参加して盛り上げましたが、やはり活動の主体は、保護者ボランティアの皆さん。保護者ボランティアの皆さんのおかげで、子供たちの知的な活動が活性化しました。

保護者ボランティアの皆さんの支援と子供たちの頑張りで、こんなにステキなしおりができあがりました。

図書活動が活発な学校って、ステキです。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO300 (2018/08/13)

校長日誌 錦町の空から NO300 (2018/08/13)

 300号達成

 記念すべき300号を達成しました。実は、何を隠そう(隠す必要もありませんが)、このブログを始めたときから、「300号」は1つの目標でした。(年度当初に「まずは最低100号」「できれば300号」と目標を立てていたのです。)
 目標が達成できてまずはホッとしています。
 ただ、目標を達成したからと言って、もちろんこれであゆみを止めるつもりはありません。
 日光移動教室で、「日光移動教室期間中にレポートのブログを50号!」と先生方にぶちあげてしまい、引くに引けない状況になって、無理矢理50号を達成しました。
 帰ってきてからの反省会(学校で行った反省会)で「いや~、言っちゃった手前、無理矢理50号を達成したけど、今思えば馬鹿なことを口走ってしまったなあ。」と言ったら、6年生の担任が「校長先生。常に現状に満足しないで、上を目指すのが私たち教師なんで、50号を目指したのはいいことなんです。」という趣旨の言葉を返してくれました。
 マイナス思考していた自分を反省すると共に、現状に満足せず、常に一歩でも、いや半歩でも前へ進もうとしている先生方の姿勢に感銘しました。
 こういう先生方の後押し(プレッシャー?)を感じつつ、次は500号を目指します。(と自分にプレッシャーをかけます。)

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO299 (2018/08/12)

校長日誌 錦町の空から NO299 (2018/08/12)

 学校へかける想い
 
 私が南砂小学校の校長だった頃、学校評議員であった、大学の先生がこんな話をしてくれました。
「街を作るとき、ヨーロッパは、まず教会を作る。日本は、まず学校を作る。」

 妙に納得しました。というのも、スペインの日本人学校の教員であったとき、スペインをまわると、どんなに小さな村でも必ず教会がありました。そして、教会は確かに、街の中心にあったのです。

 この話をふと思い出した出来事があります。私は前任校、けやき台小学校のHPを今でも時々見ます。先日見たときには、閲覧数は44万を超えていました。3月の終わりに37万アクセス達成!と書いていたことからすると、何と、4ヶ月で7万アクセスを達成したことになります。
 驚くのは、当然なのですが、閉校したため、全く更新はされていないのに、7万アクセス増えているという事実です。
 卒業生、かつての保護者、地域の皆様がご覧になっているのでしょう。
 何という学校愛!
 日本人の学校への想いを痛切に感じました。
 
 三小についても、卒業生、保護者、地域の皆様の学校愛を感じます。
 これからも私たち学校は、愛され続ける学校であるように研鑽していかなくては行けないと感じます。