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カテゴリ:校長日誌

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO308 (2018/08/19)

校長日誌 錦町の空から NO308 (2018/08/19)

 現地校交流②

 現地校との交流で現地校を初めて訪問したときは、驚きと失敗の連続でした。
 まずは失敗。交流担当の現地校の女性の先生に、覚えておいたスペイン語で挨拶しました。
「エンカンターダ!」
「初めまして。」と言ったつもりでした。ところが!相手の女性の先生は、驚いた表情をしていました。とりあえず握手はしてくれましたが、表情が何か変でした。

 後で日本人学校で3年目の同僚の先生が教えてくれました。
「内野さん。挨拶の時に『エンカンターダ!』って言ったでしょう。あれは×。『エンカンターダ』って女性の挨拶なの。男性は『エンカンタード』って言わなくちゃいけないの。」
 ひょえ~っ!そうか~。男女で言葉が違うんだ~。つまり、私はスペイン人にしてみれば、お姉言葉を使う日本人と見なされたんだあ、と納得。
 ちなみに、私に「これからはエンカンタードと言いなさい。」と教えてくれた日本人学校の同僚の先生は、「まりこ」という日本人としてはごくごく普通の名前でしたが、「私はスペイン人には、自己紹介の時に『マリ』としているわ。なぜかというと、『まりこ』って、スペイン語では、『オカマ』という意味になるから。」
 なるほど~っ!私はアメリカで自分の名前「ヤスユキ」を縮めて「ヤス」と言ったら、それが英語の「イエス」のスラングの「ヤス」と同じになって、行く先々で、馬鹿ウケしました。その時は、なぜ馬鹿ウケしているのかわかりませんでしたが、後で「ぼくの名前は、『そうだよ。』です。」と言っているのに等しいとわかりました。
 海外生活あるあるですね。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO307 (2018/08/18)

校長日誌 錦町の空から NO307 (2018/08/18)

 現地校交流①

 日本人学校では、世界中どこでも現地校と交流を行います。せっかく異国にいて、現地の子供たちと交流しないのは、外国にいた意味がありません。もちろん、交流するには、下準備がかなり必要で、先生方は、企画→相手校とのやりとり(これは、スペイン語の堪能な事務長さんにお願いしていました。相手の返答に再度検討し直すこともしばしばでした。)→子供たちと交流の準備(最低限のスペイン語を講師に教えてもらう、名札をはじめとする準備物を用意する、リハーサルをしてみる等々)→交流当日。
 交流は、双方向となっているので、1つの学校につき2回行いました。
 日本人学校に来てもらうときは、せっかくの機会なので、日本文化を体験してもらいました。例えば書道。簡単な漢字を書いてもらって、最後に相手の名前を漢字に変換して日本人学校の子供たちが書いてあげるなどという交流です。また、中学校は、剣道での交流をしました。当時スペインでも宮本武蔵が流行していて、剣道が好きなスペイン人が多く、剣道を交流で行うと、現地校の先生方(と子供たち)はとても喜びました。当時の日本人学校には、剣道有段者(それも国体レベル)の先生が2人もいて、師範をすると、これも大変喜ばれました。

 また、私と同期に派遣されていた先生が、日本で太鼓の指導をしていたことから、 日本人学校の子供たちに太鼓の体験をさせたいと思い立ちましたが、当然のように太鼓はありませんでした。そこで、学級の保護者でワイン工場を経営していた保護者(お母さんは日本人ですが、お父さんはスペイン人)にお願いして、ワイン樽を譲ってもらい、その樽を太鼓にして太鼓を始めました。さすがは日本人。指導者も良かったのでしょう。あっという間に上手になって、保護者にも披露して、大喝采。(これがきっかけで、私たちが帰国した後、本物の和太鼓が日本人学校に寄贈されたとのことでした。)
 この和太鼓を交流に活用しない手はありません。スペイン人に披露すると、子供たちも先生方も大喝采でした。
 日本文化を知ってもらうには、交流はうってつけでした。
 

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO306 (2018/08/17)

校長日誌 錦町の空から NO306 (2018/08/17)

 スペイン人のステキなところ
 
 前号まででスペイン人のアバウトなところ、つまり悪いところに触れました。(でも、そのアバウトさがなんとも言えず良い、という日本人も多々いました。むしろ今様々なことですぐに炎上する「妙な厳格さ」は、ちょっと行き過ぎているかなと思うこともしばしばあります。その点、スペイン人のアバウトさは、こういう形にはなりにくいと思います。アバウトさって、もしかしてこれからの時代の日本では必要なのかもしれません。)
 スペイン人にはたくさんの良いところがありますが、今回は1つ書きましょう。
 それは面倒見の良さ。困っている人がいたら、放っておけないのがスペイン人です。街を歩いていて、迷子になって、道を尋ねると、一生懸命その場所を教えてくれようとします。それだけではありません。道を聞いた人が以外でも次々と集まってきて、みんな口々に「あっちだよ。」「いや、こっちだ。」「何言ってんだ。俺は知っているぞ。こっちだ。」としゃべり、道を聞いた私は、どうしてよいやら途方に暮れることがしばしばありました。
 また、私の妻は、スペイン人の優しさに感激することがしばしばありました。妻は、定期的に我が子をベビーカーに乗せ、電車で街の中心地に和食を作る食材を買いに出かけていました。しかし、当時は駅がバリアフリー化していなかったため、階段を上るのには、ベビーカーを持ち上げてのぼらなくてはいけません。これは女性にはかなり大変な仕事。さあ持ち上げよう、とすると、いつの間にかスペイン人たちが集まってきて、手伝ってくれたのです。それがたまたまではありません。ベビーカーで駅を利用すると、毎回手伝ってくれるのです。妻は言いました。

「スペイン人って、いい加減なところもあるけれど、根本はとっても優しいよね。」
 私もそう思うことがしばしば。
 時間へのアバウトさと困っている人を見ると助けようとする優しさが見事の共存しているのがスペイン人だと思っています。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO305 (2018/08/16)

校長日誌 錦町の空から NO305 (2018/08/16)

 何が幸せか?②

 (前号より)
 バルセロナにいた頃のあるとき、我が家で簡素なパーティーを行いました。
 そこへ招待したスペイン人が案の定遅れてきました。
 私は定番の「エスパニョール!!(やっぱり、スペイン人だよな~。)」を繰り出すと、笑いながら、そのスペイン人は切り返してきました。
「俺たちスペイン人は『生きるために働く』。でも君たち日本人は『働くために生きている』。」
 この言葉は強烈でした。妙に納得。そして、考えさせられました。
 幸せって何だろう?何が幸せなのか?と。
 実際、スペイン人を見ていると、本当に人生を謳歌しているように見えました。
 「人生は楽しむためのもの」と考えているようでした。
 それに対して私などは「人生は修行」と考えているところがありました。
 もちろん、そのスタンスは大きく変わってはいないのですが、あまりにも余裕がないのは考えものだと感じるようになりました。
 おかげで今は休みの時はしっかり休むというスタンスに変わってきました。
 とは言っても、やはり私は日本人です。指摘されたように、「生きるために働く」というより、「働くために生きている」部分はかなりあると感じています。
 いろいろな幸せがあって良いのだと思います。「折り合うべきところをしっかり折り合い」、「チームとして成果を出すために貢献する」ことを前提としたら、その他で何を大切にするかは、個々人が決めることなんだろうと思います。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO304 (2018/08/16)

校長日誌 錦町の空から NO304 (2018/08/16)

 何が幸せか?①
 
 今日の話題も全くの個人的な話題です。ここで書くことはあくまでも私見であることをご理解ください。

 イニエスタの緊急帰国を耳にして私は「エスパニョール!」と思わずつぶやいてしまったと書きました。実際、スペインに住んでいるとき(バルセロナ日本人学校時代)、スペイン人のアバウトさに閉口した覚えがしばしばありました。

 例えば、洗濯機が壊れて、修理屋さんを頼んで「今忙しいから、来週の土曜日に行くから。」と言われ、「え~、あと10日以上もあるじゃん。その間洗濯はどうすんだよ~。」と思いつつも、「郷に入っては郷に従う」と思いなおし、ひたすら待ったところ、待てど暮らせど来る様子もありません。まだ渡西してまもないころで、スペイン語は全くしゃべれません。電話もできず、困ったまま土日を過ごしました。翌週、通訳の人を頼んで、確認してもらったところ、その修理屋さんはこう言いました。
「ごめん。妻が妊娠しちゃってさあ。」
 妊娠なら仕方ないとあきらめ、ようやく次の土曜日に来た(英語が少しわかる)その修理屋さんに
「ところで、あなたの奥さんはどう?」
と尋ねると、「は?俺の妻?なんで?何の話?」ときょとんとしています。
「いや、だって、奥さんが妊娠したから、先週の土曜日に来られなかったんだでしょう?」
と私がさらに聞くと、その修理屋さん、
「え?妻は妊娠なんかしていないよ。」
との答え。
 ここでわかりました。つまりは言い訳をしたのです。

 時間にルーズなスペイン人は多々いました。日本人学校でスペイン語の先生をしていた女性たちも、一緒に納め会をしようとしてもまず時間通りに来ませんでした。
 8時に待ち合わせしても、来るのはみんな9時。
「どうしたの?」
と聞いても、だいたいいつも同じ答え。
「道が混んでいたのよ~。」
「出かけにお母さんに手伝いを頼まれてね~。」
等々。
 これもほとんどは言い訳です。
 そんなとき私たち日本人は、スペイン人に向かってこう言ったのです。
「エスパニョール!!(やっぱスペイン人だよな~。)」
(それに対するスペイン人の先生たちの答えは・・・「あなたたち日本人がまじめすぎるのよ。」でした。最後は互いに笑っておしまい、と言うのが常でした。)
 
 そんなことを思い出したので、イニエスタの緊急帰国を聞いて思わず私は「エスパニョール!!」とつぶやいてしまったのです。(怒ってはいません。愛情込めた言い方のつもりでした。)
 ただ、この私の反応は正しくなかったようです。私のつぶやきを聞いた、イニエスタの大ファンである同僚は
「イニエスタは、来日直後に試合に出てたんですよ。ホントは出なくても良いのに。ビザの関係もあって一度帰国しなくちゃ行けなかったんじゃないですか?」
 なるほど。もちろんバルサ(FCバルセロナ)のファンでもある私はこれで納得。
 
 それでもやはり、スペイン人の時間や約束にアバウトなところは今でも強い印象に残っています。ただ、ここで言いたいのは、それでも私はスペイン人が好きであることです。時間にある程度厳格な私たち日本人からすると、「ちょっとなあ~。」というところはあるのですが、次第に慣れてくると(日本人学校に3年間いたため、慣れてきました)、そこも含めてスペイン人が好きになってくるのが不思議です。
 
 「多文化共生」というのも、とどのつまりは、「折り合えること」「相手の違いを受け入れる」ことになるのではないでしょうか。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO303 (2018/08/15)

校長日誌 錦町の空から NO303 (2018/08/15)

 42万アクセス達成!!
 
 今日は終戦記念日です。広島に原爆が投下された8月6日(月)の職員朝会では、教職員で黙祷を捧げました。今日は(今日まで)閉庁なので、黙祷を捧げられませんが、このHPを通じて、黙祷を捧げます。
 
 さて、ふとHPを見て気づきました。何と、もう42万アクセスを達成していました!
 皆様のご愛読に重ね重ね感謝しています。
 三小に赴任したとき、前任校のけやき台小学校のHPのアクセス数を越えることを目標としていました。ところが前にも書いたとおり、けやき台小学校のHPはまだまだ元気です。というわけで、けやき台小学校は更新はなくても、そのまま閲覧数を増やしてもらって、我が三小は、地道にコツコツと歩みを進めていきます。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO302 (2018/08/15)

校長日誌 錦町の空から NO302 (2018/08/15)

 同窓会
 すみません。子供がいないと書くネタがないので、この後しばらく全くの個人的な話題が続きます。

 以前の話題の続きです。ニューヨーク日本人学校の同僚と同窓会をしました。(校長が教員に向かって同窓会というのは、少々奇異に感じることでしょう。正式に言えば、部下なのですが、部下という意識には慣れません。どうしても同僚、という位置づけになってしまいます。)
 今回の同窓会は、
8月5日の日曜日の夜。サッカー観戦をして、懇親を深めようという企画。サッカーのキックオフが7時だったため、終了は早くても9時過ぎ。そのまま懇親会をすると、午前様は間違いありません。私も同僚も月曜日は仕事だったため、サッカー観戦の前に軽く一杯ということになりました。思い出話に花を咲かせて、ひとしきり盛り上がったところで、味の素スタジアムへ。この日は、かの「イニエスタ」が試合に出ると言うことで、猛烈な人出。何と4万4千人を越えたとのこと!
味の素スタジアムは校長試験の面接会場。違った意味で懐かしい。混雑は、まるで竹下通り(古い?)か巣鴨の地蔵通り商店街(これも古い?)のような感じでした。

 FC東京とビッセル神戸の試合は、何とイニエスタの緊急帰国で盛り上がりも今一歩でした。(でも、猛烈に暑かったので、選手ファーストで考えると、盛り上がると危険かもしれなかったです。)
 イニエスタ帰国と聞いての私の率直な感想は、「エスパニョール!(やっぱスペイン人か~!)」でした。
 かつての同僚と試合観戦をして、さらにすぐそばに、けやき台小学校の子供が観戦していたので、猛烈に暑い夜でしたが、楽しむことができました。日曜日とはいえ、こういう楽しみが夏休みらしいと言えましょう。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO301 (2018/08/14)

校長日誌 錦町の空から NO301 (2018/08/14)

 図書関係の活動が活発な三小

 話題がさかのぼってしまって申し訳ありません。夏休み中の7月27日(金)に図書イベントがありました。たくさんの子供たちが参加して、イベントを堪能しました。





図書イベントは、読み聞かせあり、本のしおりづくりあり、と盛りだくさんでした。
先生方が参加して盛り上げましたが、やはり活動の主体は、保護者ボランティアの皆さん。保護者ボランティアの皆さんのおかげで、子供たちの知的な活動が活性化しました。

保護者ボランティアの皆さんの支援と子供たちの頑張りで、こんなにステキなしおりができあがりました。

図書活動が活発な学校って、ステキです。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO300 (2018/08/13)

校長日誌 錦町の空から NO300 (2018/08/13)

 300号達成

 記念すべき300号を達成しました。実は、何を隠そう(隠す必要もありませんが)、このブログを始めたときから、「300号」は1つの目標でした。(年度当初に「まずは最低100号」「できれば300号」と目標を立てていたのです。)
 目標が達成できてまずはホッとしています。
 ただ、目標を達成したからと言って、もちろんこれであゆみを止めるつもりはありません。
 日光移動教室で、「日光移動教室期間中にレポートのブログを50号!」と先生方にぶちあげてしまい、引くに引けない状況になって、無理矢理50号を達成しました。
 帰ってきてからの反省会(学校で行った反省会)で「いや~、言っちゃった手前、無理矢理50号を達成したけど、今思えば馬鹿なことを口走ってしまったなあ。」と言ったら、6年生の担任が「校長先生。常に現状に満足しないで、上を目指すのが私たち教師なんで、50号を目指したのはいいことなんです。」という趣旨の言葉を返してくれました。
 マイナス思考していた自分を反省すると共に、現状に満足せず、常に一歩でも、いや半歩でも前へ進もうとしている先生方の姿勢に感銘しました。
 こういう先生方の後押し(プレッシャー?)を感じつつ、次は500号を目指します。(と自分にプレッシャーをかけます。)

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO299 (2018/08/12)

校長日誌 錦町の空から NO299 (2018/08/12)

 学校へかける想い
 
 私が南砂小学校の校長だった頃、学校評議員であった、大学の先生がこんな話をしてくれました。
「街を作るとき、ヨーロッパは、まず教会を作る。日本は、まず学校を作る。」

 妙に納得しました。というのも、スペインの日本人学校の教員であったとき、スペインをまわると、どんなに小さな村でも必ず教会がありました。そして、教会は確かに、街の中心にあったのです。

 この話をふと思い出した出来事があります。私は前任校、けやき台小学校のHPを今でも時々見ます。先日見たときには、閲覧数は44万を超えていました。3月の終わりに37万アクセス達成!と書いていたことからすると、何と、4ヶ月で7万アクセスを達成したことになります。
 驚くのは、当然なのですが、閉校したため、全く更新はされていないのに、7万アクセス増えているという事実です。
 卒業生、かつての保護者、地域の皆様がご覧になっているのでしょう。
 何という学校愛!
 日本人の学校への想いを痛切に感じました。
 
 三小についても、卒業生、保護者、地域の皆様の学校愛を感じます。
 これからも私たち学校は、愛され続ける学校であるように研鑽していかなくては行けないと感じます。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO298 (2018/08/11)

校長日誌 錦町の空から NO298 (2018/08/11)

 学校閉庁日
 
 今日から学校が閉庁します。土日はともかく、来週の月曜日から水曜日まで、平日も閉庁するのです。これまでの学校の歴史の中で、平日に閉庁するのは初めてでしょう。画期的です。
 三小の先生方をはじめ立川市の先生方は、学期中も遅くまで仕事をしています。(朝も6時台に結構多くの先生方が出勤しています。)閉庁にでもしない限り、先生方は働き続けます。ほとんどの先生方は休暇を大幅に残して一年を終えます。まさにブラックですね。このような状況が続くと、先生方が良いパフォーマンスができるわけもありません。いや、いつの日かバタバタと倒れるでしょう。
 ですから、市教委が閉庁日を設けたのは、画期的で、結果的に子供たちのためになると確信します。
 ちなみに、私も、この機会にしっかり休暇を取ります。
 ですから、この期間はブログの更新は一日1回です。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO297 (2018/08/10)

校長日誌 錦町の空から NO297 (2018/08/10)

 雨にも負けず

 「台風13号が関東地方直撃!」のニュースが出た6日月曜日に、学校評議員の市川さんが学校を訪れました。
 バケツ稲の生育状態を確認しに来たのです。私が「稲は順調ですか?」と尋ねると、市川さんは「順調すぎるくらいです。ちょっと生育が早いかなあ・・・。」とちょっぴり心配していました。
 私の心配は、台風でしたが、市川さん曰く、
「稲穂が出たら、風で倒れてしまう可能性がありますが、まだ柔軟なので、風が吹いても大丈夫でしょう。」
とのことでした。
 さすがはお米のプロフェッショナル。とにかく人間以外の生き物を育てるのが苦手な私としては、市川さんがいてくださることがどんなに心強いことか。


で、台風13号の雨風に負けることなく、すくすくと成長し続けるバケツ稲でした。さすがは読売新聞に載ったバケツ稲。市川さんたちと子供たちの愛情をたっぷり受けて、元気です。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO296 (2018/08/09)

校長日誌 錦町の空から NO296 (2018/08/09)

 自分中心で考えないことの大切さ

 台風13号が通り過ぎました。猛烈な風雨を予想していましたが、立川や私の住まいのある小平は、それほどでもありませんでした。(それでも、関東の沿岸沿いは大変だったと思います。)今日も休暇をもらっていたので、副校長先生に確認したところ、「ぐるっと巡回しましたが、特に変わったことはありませんでした。」とのことでした。良かった。
 と、まずは三小の無事を確かめたところで、次に気になったのは、伊豆諸島です。私は、教頭を拝命したのが、御蔵島小中学校。竹芝桟橋から船で7時間半のところにあります。(三宅島と御蔵島の間です。)小さな離島で、私が教頭をしていた頃の島の人口は270人余。日本で二番目に小さい村です。(一番は青ヶ島村)。
 離島では、台風の影響をもろに食らうため、台風の情報には常に敏感でした。(ちなみに、学校の体育館は猛烈な台風によって屋根が吹き飛ばされたそうです。)
 台風が島の近くを通ったときは、猛烈な雨風で大変でした。台風が通り過ぎて、学校を巡回したところ、頑丈な作りの学校の施設にはびくともしていませんでいた。でも、さすがに、校庭や裏山は、倒れた木々や吹き飛ばされた枝で大変なことになっていました。
 教員とそれらを片付け、仕事を終えて島の食堂で事務長さんと夕食をとっていたときです。テレビのニュースで、あるアナウンサーがこう言いました。
「幸い、台風は進路が大きくずれて、日本にはほとんど被害はありませんでした。」
 これを聞いていた私たちや島の人たちは、怒り心頭。
「島は大変だったんだ。日本は被害がないって、どういうこと?」

 実際、台風は進路を大きく東にとって、本土にはほとんど影響はなかったのですが、離島ももちろん日本です。
 こういうときに、少数派は忘れられがちです。本来はこう言うべきだったのでしょう。
「伊豆諸島には、被害はありましたが、その後大きく進路が外れたために、本土への影響はほとんどありませんでした。」
 多文化共生というキーワードを考えると、最終的に多数派の意見で決着したとしても、やはり少数派にも配慮はしなくてはいけない、と感じた離島での教頭経験でした。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO295 (2018/08/08)

校長日誌 錦町の空から NO295 (2018/08/08)

 「校長先生っ!」と呼ばれると・・・

 NO293(8月7日)で、三小の子供に会った際、「校長先生」と呼ばれなかったことを書きました。
 ふと思い出しました。
 ニューヨーク日本人学校のときのこと。休日に日本食を置いてあるスーパーマーケットに家族で行きました。日本食が置いてあるので、日本人が集まるのは当然です。しかし、時間が開店まもなかったため、「まさか、まだ日本人学校の子供たちはいないだろう」と高をくくっていました。
 ところが!突然!
「校長先生っ!!」
と子供の声が。
 振り返ると、そこには1年生の姿が!
 ちょっぴり動揺して、でも気を取り直して、「こんにちは!」と挨拶すると、その男子は、それで終わりませんでした。
「お父さん、お父さ~ん!」
とスーパーマーケット中に響く声で
「お父さん、校長先生がいたよ!」
とお父さんを呼ぶではありませんか。
 これでさらに動揺していると、その男子のお父さんが姿を現し、
「ああ、本当だっ!校長先生ではありませんか!」
と有名人を見つけたかのような反応!
 それでは終わらず、さらに
「おお、○○(その男子の名前)。校長先生に挨拶はしたのか?」
と子供に声をかけたではありませんか。
「ううん。まだしていない。」
と応えると、お父さんは、
「ダメじゃないか。ちゃんと挨拶してきなさい。」
と指示。「え~っ、いいよ~。」とたじろぐ私を尻目に、親子(父子)で私の所まで来て、深々と頭を下げ、
「校長先生、こんにちはっ!」
とこれまたスーパーマーケット中に響く声で挨拶してくれました。
 ありがたいことなのですが、もうスーパーマーケット中のお客さんが
「へえ~っ。あの人、校長先生なんだ~。」
という好奇の目。
 買い物をしたものをレジへ置くと、オーナーさんが
「あれ?お客さん、校長先生だったんですね~。」
と私は秘密を知ってしまったぞ~という何か微妙な笑みをたたえて私が買った品物をチェック。(へえ~。校長先生、こんなものが好きなんだ~という感じ。校長と言ってもごくごく平凡な人間なので、高級品を食べるわけではありません。)
 というわけで、その店では私の立場が知られることとなりました。
 スーパーマーケットを退出するとき、先ほどの男子が
「校長先生~っ、さようなら~っ!」
と元気に挨拶してくれました。
 う~む。まだ社長!と言われた方が気が楽ですね。
 でも、「校長」という言葉の重みを受け止めなくては!と思う今日この頃です。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO294 (2018/08/08)

校長日誌 錦町の空から NO294 (2018/08/08)

 学校から子供の声が消えました。
 終業式から2週間。夏休み水泳教室、補習等々で8月3日まで子供たちの声が学校内に響いていました。でも、8月3日をもって、三小は静まり返りました。


夏休み水泳教室の最終日は、高学年。最後の水泳教室ということで、水球に取り組みました。プールを2つにわけて、5年生の男女対抗、6年生の男女対抗で取り組みました。

この夏休み水泳教室で子供たちの歓声が響いた後、ピタッと静かになりました。
主役がいなくなって静まりかえる三小のプール。

本格的な夏休みに突入という感があります。
この後、8月29日(水)まで3週間あまり。
それぞれの夏休みを過ごして、8月30日(木)の始業式には、また元気な子供たちと再会したいですね。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO293 (2018/08/07)

校長日誌 錦町の空から NO293 (2018/08/07)

嵐の前の静けさ

 今日は涼しかったですね。街を歩いていたら、「寒い」と言っている方もいらっしゃいました。(もちろん、究極・超絶暑がりの私にとっては快適そのもの。)
 この涼しさは、やはり台風13号の影響でしょうか。
 今日は、休暇をいただいていましたが、のんびりとはいかず、バタバタとして、ようやく今こうしてブログをアップさせていただける状況になりました。(休暇なのですが、来客があったため、一度三小には行きました。その後、立川駅周辺でお昼ご飯を食べていたら、本校の子供に会いました!ありがたいことに「校長先生!」と大声をあげませんでした。さすがは三小の子供。気遣いありがとう。あそこで「校長先生!」と言われると、周囲の皆さんが「この人、校長先生なんだ~。」という好奇の目で見られること必至。これは辛いのです。)

 現在、雨は全く降っていません。風も吹いていません。こういう状況を「嵐の前の静けさ」というのでしょうね。
 でも、油断は禁物。明日の午後から明後日の午前中が一番風雨が強くなるようです。
(困っているのは、出張です。ちょうど台風が通過しようという、9日の午前中にお台場方面の出張なのです。もしかすると、出張そのものがなくなってしまうかもしれません。)
 皆さんも十分お気をつけください。

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO292 (2018/08/06)

校長日誌 錦町の空から NO292 (2018/08/06)

 ICT研修

 先週の水曜日(8月1日)、ICTの研修が行われました。
 ICTは、私が若い頃は全くと言って良いくらい、一部のマニアックな先生方しか関わっていませんでした。
 でも、時代は変わりました。子供たちが大人になる頃には、ICTを扱うのは、当たり前となっていることでしょう。言ってみれば、「ICTは、生きる力の1つ」。
 その子供たちを指導する先生方には、それなりの知識がなければいけません。そこで、研修なのです。

 



ICTサポーターの先生がおっしゃるには、「三小の先生方は、ICTをよく使ってくださっている」とのこと。
今回もタブレットを活用して、子供たちの興味をひく、どんなことができるのかを講師に教えていただきました。
2学期がまた楽しみ!

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO291 (2018/08/05)

校長日誌 錦町の空から NO291 (2018/08/05)

41万アクセス達成!

 土日の2日間、お疲れモードでだらだらしていました。4月に三小に転任して以来一番だらだらしていました。(家事を少しやったくらいで、だらだら寝ていました。)
 午後ようやくパソコンを開いて、びっくり。41万アクセスを達成していました。(トップページに「41万アクセス達成!」と書いたのは、副校長先生です。)
 二日間そぼっている間に、副校長先生が黙々とHPをアップしてくださっていたおかげで、そして、保護者、地域、関係者の皆さんが地道にHPをチェックしてくださっていたおかげで、こんなハイペースで41万アクセスを達成できたのです。
 私はこの後、味の素スタジアムでサッカーの試合を観戦します。(夜7時キックオフなので、終了が9時?さらに、観戦する仲間がニューヨーク日本人学校の同僚なので、その後軽く懇親、ということで、帰宅は午前様?)でも、イニエスタが出場できない、と聞いて、がっかりです。

 

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO290 (2018/08/03)

校長日誌 錦町の空から NO290 (2018/08/03)

 夏休みになっても、学期中同様、4~4時半に起床して、学期中と同じペースで仕事しています。(唯一違うのが、朝スタバで仕事してから学校へ行くことです。)
 ただ、少々疲れが出てきています。今朝も、5時46分にブログを作成しようとして、途中でいろいろなことがあり、気づいたら、出かける時刻に。あわてて家を出て、バスに乗りました。ルーティーンで、バスの車中でも仕事をしていますが、今朝は猛烈な睡魔に襲われ、途中で仕事の手を止めると、そのまま睡眠モードに。バスを降り、スタバで仕事をしたものの、まだ何か疲れが残っています。この数日、根を詰めて仕事をした反動でしょうか。(これはもうMonster Energyに頼るしかないです。)
 とはいえ、今日は夏休み水泳教室最後の日。また、午後には市内の副校長先生方の研修会の講師を務めます。疲れている、なんて言っていられません。
 保護者の皆さんから
「朝、校長先生や副校長先生のブログを見てから、出勤します。」
というお言葉をいただきます。
 ということは、このブログの役割は「元気づけ」。疲れた、疲れた、なんて言葉に触れると、パワーダウンしてしまいますね。
 来週の後半からお休みをもらって、ゆっくりしようと思っています。(お休みに入っても、ブログはほそぼそと継続するつもりです。)

喜ぶ・デレ 校長日誌 錦町の空から NO289 (2018/08/02)

校長日誌 錦町の空から NO289 (2018/08/02)

 昨日の暑さは異常!と思っていたら、今日はさらに異常な暑さでした。
 7月の高気温は、「災害」との判定で、歴史に残るような異常高温でしたね。
 個人面談も、廊下でお待ちいただいている時には、時間が経つのが遅かっただろうと推察します。廊下までクーラーが効きません。申し訳ございません。
 果たしてこの暑さはいつまで続くのでしょうか。始業式(8月30日)には治まっていることを心から願います。